銀行員のための教科書

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クレディ・スイスのAT1債無価値化について簡単に考察する

経営危機が懸念されていたクレディ・スイス銀行のAT1債が無価値化したことが、金融業界では大きな話題となっています。

今回はAT1債とは何か、そして今後どのようなことが想定されるのかについて簡単に確認していきたいと思います。

 

AT1債とは

AT1債とは、株式と債券の中間の性質を持った証券です。AT1とはAdditional Tier1の略です。偶発転換社債 (contingent convertible bonds=CoCo債) とも呼ばれ、2008年の金融危機後に金融機関の自己資本比率を充実させるための手法の一つとして発行されるようになりました。世界的な金融危機を防ぐための新たな金融機関の国際規制「バーゼル3」が策定されたことに伴い「その他Tier1」という自己資本の基礎的な項目として認められるようになったのがAT1債です。金融機関が破綻した際の弁済順位が普通の社債に比べ低くリスクが高い債券であり、その代わりに債券の利回りが高くなっています。そして、AT1債は、発行体(銀行)の自己資本比率が一定の水準を下回った場合や金融監督当局の決定等により、強制的に元本が削減されたり、株式に転換される特性があります。このようなAT1債を金融機関が発行した理由は、普通株式を発行するよりも AT1債の方が財務負担が少ない資本増強手段であるためです。普通株式は利払いが無いため一見するとコストゼロに見えますが、実際には配当を出す必要があったり、普通株式の発行(増資)に伴い株価が下落し、既存株主から不興を被る可能性があること等を勘案すると、発行する金融機関にとってはAT1債の方が有利と言えました。そのため、特に欧州の銀行でAT1債が発行されていました。

AT1債のような形で資本を充実させることを金融機関が求められたのは、リーマンショックの教訓から、「預金者に影響が出ない」ようにするためです。AT1債の投資家は、預金者に影響が出ないように損失を吸収する役目を負い、その代わりに預金や普通社債よりも高い利回りを受け取っているのです。

 

クレディ・スイスのAT1債に起きたこと

スイスの金融当局は、クレディ・スイスが同じスイス地盤の大手銀行であるUBSに買収されることが決まった際に「クレディ・スイスの AT1債が無価値になる」と発表し、結果として、約2兆2,800億円の債券の価値が消滅しました。これはAT1債の投資家からするとまさに想定外の突然の出来事だったでしょう。そもそもスイスの金融当局がなぜ民間企業であるクレディ・スイスのAT1債が無価値になると発表したのでしょうか。

実は、クレディ・スイスのAT1債には以下のいずれかの条件に抵触した場合には無価値になるという条項が盛り込まれていました。

  • 株式等損失を吸収する資本が一定の水準を下回った場合
  • スイス当局が銀行が破綻のおそれがあるとみなしたり、例外的な政府支援を行ったりした場合

クレディ・スイスのAT1債はスイスの金融当局が無価値化を決定出来る条項が盛り込まれていたことになります。この条項が今回発動されたのです。

欧州のAT1債は合計で約36兆円発行されており、クレディ・スイスのAT1債はその内の約2兆2,800億円、すなわちAT1債全体の6%超が突如無価値になったというインパクトでした。しかも、AT1債は、弁済の優先順位からすると普通株式よりも優先されるのが建付けであり投資家の認識でしたが、クレディ・スイスの場合は当局が認可してしまったが故に、 普通株式が価値が低下しても無価値にならなかった(UBSの株式と交換された)のに対して、AT1債が先に無価値になってしまいました。これが、AT1債の保有者から大きな反発を受けています。要は、「順序が逆である」ということです。

 

これから起きること

AT1債は、日本のメガバンクも発行しています。3メガバンク合計で約3.6兆円です。クレディ・スイスのAT1債の問題は決して対岸の火事ではありません。

但し、欧州所在の銀行の方がAT1債に頼っている傾向が強いのが現状であり、クレディ・スイスを買収することになったUBSでは、「普通株等自己資本(CET1)」に対するAT1債の比率は28%とされています(日経新聞報道)。メガバンクでは、みずほが17.8%、MUFGが13.7%、三井住友FGが6.5%と同じ日経新聞の記事で報道されており、普通株等自己資本に対してAT1債を発行している割合が少ないのが日本のメガバンクの特徴です。

今回のAT1債の無価値化は、間違いなく金融機関の資金調達環境に変化をもたらします。日本のメガバンクへの影響は欧州の銀行における影響よりは少ないでしょう。しかしながら、AT1債の市場は縮小するでしょう(既にその兆候が出ています)。金融機関は、自己資本規制(バーゼル3)をクリアするためにAT1債とは異なる形で、資本の積み増しが求められます。これを鑑みると、金融機関は、配当の抑制や自社株買いの見送りというような自己資本を充実させる方策の他、資産を圧縮することで自己資本比率の改善を図ることも考えられます。

この資産圧縮は、経済全体で見た場合には「銀行の貸し渋り」というような形となる可能性があり、金利上昇等の金融引き締め環境では経済へ更なる悪影響を与えることになります。

但し、そもそも金融引き締めとは「景気過熱を抑制」することを目的にしていますから、金融機関の貸出姿勢が厳しくなることで景気へ悪影響が出るのは、本来は想定されていることとも言えるかもしれません。

いずれにしろ、今回のAT1債の無価値化は、経済へ悪い影響を与える可能性が高いと思われます。今後も動向には注視が必要です。