銀行員のための教科書

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デジタルマネーでの給料支払は銀行への更なる追い討ちになる可能性

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給与・賃金の支払いにデジタルマネーが認められるとの報道がなされました。

これは非常に驚きのニュースといえます。銀行のビジネスモデルの一端も崩れる可能性があります。

今回は、なぜ給与・賃金にデジタルマネーでの支払いが認められていなかったのか、今後の銀行への影響等について考察します。

 

報道記事

まずは、報道内容をご確認ください。

以下、日経新聞から記事を引用します。

給与 デジタルマネー解禁
2018/10/25 日経新聞

 厚生労働省は企業などがデジタルマネーで給与を従業員に支払えるよう規制を見直す方針を固めた。2019年にも銀行口座を通さずにカードやスマートフォン(スマホ)の資金決済アプリなどに送金できるようにする。従業員が現金として引き出すことができ、資金を手厚く保全することなどが条件。日本のキャッシュレス化を後押しする狙いで、給与の「脱・現金」にようやく一歩踏み出す形だ。
 1947年制定の労働基準法は労働者への給与の支払いを「通貨で直接、労働者に全額支払うこと」と規定。その後、例外として銀行振込を認めたが、現金を原則とする骨格は変わっていない。厚労省はこの例外規定にデジタルマネーを加える方向で金融庁や関連業界と調整に入った。
 19年に労働政策審議会(厚労相の諮問機関)で議論に着手し、同年中にも労働基準法の省令を改正する方針だ。
 デジタルマネー払いは現金払いなどと従業員が選択できるようにすることが条件。企業が指定したカードや決済アプリに給料を入金する仕組みで、入金された給与をATMなどで月1回以上、手数料なしで現金で引き出せることが条件になる。価格変動の激しい仮想通貨は対象に含まない。

(中略)

 デジタルマネー払いの解禁は3月に東京都などが要望した。銀行口座の開設に手間がかかる外国人労働者向けに国家戦略特区での対応を求めていたが、全国で解禁する。

(以下略)

これが報道内容です。

筆者は簡単にはデジタルマネーでの給料支払は実現しないと想定していました。

まずは現行の法規制について以下で詳しく見ていくことにしましょう。

 

法規制

なぜ、給与・賃金をデジタルマネーで支払ってはいけなかったのでしょうか。

給与・賃金は現金での手渡しか預金口座への振込となっています。この前提は疑問を持ったことがない方も多いと思いますが(筆者も業務で関わるまでは疑問を持ちませんでした)、実は法律で規制されています。
該当する法律を目にする機会も少ないでしょうから、以下参考までに掲載します。 

<労働基準法>
(賃金の支払)
第二十四条 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。
2 賃金は、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない。ただし、臨時に支払われる賃金、賞与その他これに準ずるもので厚生労働省令で定める賃金(第八十九条において「臨時の賃金等」という。)については、この限りでない。 

この法律では、賃金(給与)は「通貨で」「直接労働者に」払われなければなりません。すなわち、賃金・給与の支払いは「通貨=現金」で、「直接=本人に手渡し」が原則なのです。銀行口座への振り込みは、特別に認められた例外です。

このポイントについては、厚労省の解説が詳しいでしょう。

以下、厚労省のホームページから引用します。 

(出典: https://www.check-roudou.mhlw.go.jp/qa/roudousya/chingin/q7.html

(1)通貨払の原則

ⅰ)趣旨
通貨払の原則は、貨幣経済の支配する社会において最も有利な交換手段である通貨による賃金支払を義務付け、これによって、価格が不明瞭で換価にも不便であり、弊害を招くおそれが多い実物給与を禁じたものです。

ⅱ)賃金の銀行口座への振込み
施行規則7の2①では、「使用者は、労働者の同意を得た場合には賃金の支払について当該労働者が指定する銀行その他の金融機関に対する当該労働者の預金又は貯金への振込みによることができる」とされています。
賃金を口座振り込みにより支払う方法は、次の要件を満たさなければなりません。
①労働者の同意があること
②労働者が指定する本人名義の預金又は貯金の口座に振り込まれること
振り込まれた賃金の全額が所定の賃金支払日に引き出し得ること
 また、平成10年の施行規則改正により設けられた施行規則第7条の2第2項では、証券会社の一定の要件を満たす預り金である証券総合口座への払込みによる賃金の支払も認められることとなりました。
この同意については、労働者の意思に基づくものである限りその形式は問わないものであり、指定とは、労働者が賃金の振込み対象として銀行その他の金融機関に対する当該労働者本人名義の預貯金口座を指定するとの意味であって、この指定が行われれば同項の同意が特段の事情のない限り得られているものと解されます。なお、振込みとは、振り込まれた賃金の全額が所定の賃金支払日に払い出し得るように行われることを要するものです(昭63.1.1基発第1号)。

ⅲ)小切手による賃金の支払
賃金の小切手払いは、小切手が我が国の現状では必ずしも一般に普及している支払手段とはいい難く、これを受け取った労働者に若干の不便を与えるものであり、さらに、会社の振り出す小切手は不渡となるおそれもあることを考えると、賃金全般について、振出人を特に限定せずに小切手等の交付による支私を認めることは、適当ではないとされています。

(2)通貨払の例外-実物給与支払いが許される場合

ⅰ)厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合

退職手当については、その額が高額になる場合があり、現金の保管、持ち運びに伴う危険を回避する必要が認められること及び銀行振出し小切手等による支払は確実であること等から、労基法24①ただし書(「厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合」)に基づき、施行規則において、使用者は、労働者の同意を得た場合には、退職手当の支払について、次の方法によることができることとしています(施行規則7の2②)。

a 銀行その他の金融機関よって振り出された当該銀行その他の金融機関を支払人とする小切手を当該労働者に交付すること。

⇒具体例:金融機関の自己宛小切手

b 銀行その他の金融機関が支払保証をした小切手を当該労働者に交付すること。

⇒具体例:金融機関の支払保証小切手

c 郵便為替を当該労働者に交付すること。

⇒具体例:郵便為替

上記の「同意」とは、労働者の意思に基づくものである限りその形式は問わないものであり、また、「その他の金融機関」とは、小切手法ノ適用ニ付銀行卜同視スベキ人又ハ施設ヲ定ムルノ件(昭和8年勅令第329号)により小切手法 (昭和8年法律第57号)の適用につき銀行と同視されるもの(例えば、郵便局、信用金庫、信用協同組合、農業協同組合、労働金庫等)をいう(昭63.1.1基発第1号)。
ⅱ)法令

法令には、法律、政令及び省令があります。
ⅲ)労働協約

労働協約とは,労働組合法でいう労働協約のみをいい、労働者の過半数を代表する者との協定は含まれません。なお、労働協約の定めによって通貨以外のもので支払うことが許されるのは、その労働協約の適用を受ける労働者に限られます(昭63.3.14 基発第150号・婦発第47号)。  

この賃金・給与の通貨払いというのは、「現物払い」を禁止したことに主旨があります。

例えば、賃金・給与を自社の製品(例えば、電子レンジ、加工食品、家具等々)で渡されたら、どう考えるでしょうか。

生活必需品を作っている会社の社員であったとしても、自社の製品ばかりでは暮らしていけません。電気・ガス・水道代や、子供の学費は少なくとも日本円で支払わなければならないでしょう。

現物で支給されていると、自社の製品を換金しようにもどこで換金したら良いか分からないでしょうし、いくらで換金してくれるかも需給に左右されるでしょう。

従って、賃金・給与を通貨払いとすることを法律は規制(強制)しているのです。

この通貨払いの例外が、銀行に対する振込です。

銀行の口座への振込は、厳密に言えば「通貨払い」ではありません。

銀行の口座に振り込まれた賃金・給与の「額」は、あくまで預金者が銀行に対して持つ「預金債権」です。

ただし、銀行は「確実に支払う」だろうから通貨払いの例外として良いと法令で決められているのです。

 

影響

この賃金・給与の「通貨払いの原則」は、時代遅れと感じる方が大半でしょう。

そして、前述の新聞記事にある通り、預金口座を持てない外国人労働者等にとってはデジタルマネーでの受け取りは選択肢として利便性があるかもしれません。

元来、厚労省(および労基法)の考え方のベースにあるのは「(日本人の)労働者保護」でした。しかし、政府は、本格的に外国人労働者の受け入れに舵を切ったということなのでしょう。

現行のデジタルマネー(この中には仮想通貨・既存の電子マネーも含まれます)は銀行預金よりは支払いの蓋然性に疑義があるかもしれません。

基本的には、発行者への信用・信頼が基になっており、通貨(=日本国)や銀行よりは信用力等が劣るとされているためです。

しかし、電子マネーは現行の法律ではある程度の保全が図られています(資金決済法の前払式支払手段として、受入額の1/2を供託等)。

この規制を更に強化することで、利用者保護を図るのです。

現金が流通する社会というのは、現金流通コストに加え、外国人労働者を受け入れるインフラ整備(銀行口座、決済手段)に課題がありますが、更にマネーロンダリング・テロ資金供与防止、税務上の所得等把握が重要な課題とされてきています。現金ほど匿名性の高い支払手段、価値貯蔵手段はないからです。

労働者保護、外国人労働者等の利便性と、資金の流れの当局把握(マネロン・テロ資金供与防止および税務上の所得把握)、現金流通コストの削減等を解決する方策として、デジタルマネーでの給料支払が実現するならば、興味深い政策となるかもしれません。

しかし、このデジタルマネーでの給料支払解禁は、銀行にとってはマイナスの影響が大きく出てくる可能性があります。

賃金・給与の払い込み口座を押さえていることは、銀行にとっての強みです。この給与振込があるから銀行は個人との接点を持てている割合が高いのです。

銀行口座を通さずに、賃金・給与をデジタルマネーを受け取れる社会が到来した場合には、銀行の強みはさらに無くなります。

個人業務では儲けが少ない銀行は多いでしょう。そのような銀行にとってみれば、銀行口座の利用者が減るのであれば、為替手数料の減少等を通じてシステムを維持出来なくなるかもしれません。地銀を中心にバンキングシステムの統合や、銀行本体の合併等がさらに加速していくかもしれません。

このデジタルマネーの給料支払解禁は非常に大きなインパクトを銀行にもたらす可能性があるのです。