政府が会社員への給与のデジタル払いを認める方針を示したと一部で報道されています。
この給与のデジタル払い、すなわち、PayPay、LINEペイ等の資金移動業者を通じて給与を支払う仕組みは、銀行、特に地方銀行のビジネスを破壊する威力を秘めていますが、一方で給与を受け取る側にとっては大きなメリットを享受できる可能性があります。
今回は、この給与のデジタル払いについて確認していきたいと思います。
報道内容
まずは給与のデジタル払いの概要をつかむために日経新聞の記事を抜粋します。
給与デジタル払い、破綻時の早期保証など条件 厚労省案
2021/01/28 日経新聞厚生労働省は28日に労使を交えた審議会を開き、会社員への給与のデジタル払いを取り扱える事業者の条件として、破綻時に早期に保証する仕組みの整備などを求める案を示した。柔軟に換金できることや、厳格な本人確認の体制なども条件とする。連合は審議会で「資金移動業者が銀行と同等の安全性があるか懸念がある」と主張し、慎重な姿勢を鮮明にした。
政府は給与のデジタル払いについて、2020年7月に閣議決定した成長戦略の文書に「20年度できるだけ早期の制度化をはかる」と明記した。フィンテックなどの新しいテクノロジーの競争環境を公平にし、金融サービスの利便性を高める狙いがある。21年3月末までに詳細な制度設計を終える必要があり、制度を所管する厚労省の審議会の議論が焦点になる。(中略)
公正取引委員会がQRコード決済を利用している人を対象に実施した調査では、仮にデジタルマネーの給与支払いが可能になった場合、4割の人が利用を検討すると回答した。銀行口座とQRコード決済の間でお金のやり取りをする場合、特定の銀行でしか使えないものも多い。直接、給与がQRコードの決済アプリに振り込まれるようになれば利便性は増す。
QRコード決済を月1回は利用する人は20年9月時点で3000万人を超え、2年前の10倍程度に膨らんだ。デジタルマネーは、企業と雇用契約のないフリーランスらへの報酬の支払いではすでに広がっている。会社員の給与の支払いだけ、安全基準を過度に厳しくすると、利便性を下げてしまう可能性もある。
この給与のデジタル払いは、デジタルマネーの利便性を飛躍的に高め、キャッスレス化が加速する可能性を秘めているのです。
給与のデジタル払いのメリット
給与のデジタル払いのメリットを最も享受できるのは、正社員よりも、非正規雇用者や副業従事者、外国人労働者と想定されています。
定期的な給与払いがある正社員とは違い、副業や非正規労働の場合、働いてから銀行振込までの期間が長いなどの制約があることが多いでしょう。一般的な慣行では、給与は月に一回程度、企業が指定する銀行口座に振り込まれます。これは企業の事務手間(銀行への振込指図)、コスト等が要因です。この労働から給与払いまでの期間が長いことは、労働者側とっては不便であり、不利でした。
また外国人労働者の場合、営業時間や言語の壁があり、銀行口座の開設自体が難しい場合もあると思われます。
給与のデジタル払いが可能になると、「少額での入金がリアルタイムで」可能となるかもしれません。そして、それがキャッシュレスで使用できることになります。
銀行の口座へ給与を支払う場合には、銀行の用意したインターネットバンキングシステムか、専用のシステムを使っています。しかし、給与のデジタル払いが解禁されると、企業は資金移動業者が用意したソフトを使い、 簡単に、かつ費用が少なく給与支払いが可能になるかもしれません。簡単でコストが低いのであれば、高頻度で給与払いを行うことも可能になるでしょう。
給与のデジタル払いは給与を受け取る側からすると良い選択肢のように思えます。
論点
但し、給与のデジタル払いについては、様々な論点があります。厚労省の審議会では以下のような意見が出されていました。(第165回労働政策審議会労働条件分科会資料)
○ キャッシュレス化の促進や外国人労働者を含む多様な賃金払いのニーズへの対応という点で必要な施策であり、制度化に向けた議論が始まることは歓迎したい。賃金の確実な支払いなど労働者保護といった観点が大前提であり、特に資金保全のスキームが重要。また、企業側としては多様な受け取りニーズに全て対応することは難しい面もあるため、その点についてもバランスを図る議論が必要。
○ 資金移動業者の破綻や統廃合の可能性やその際のスムーズな払戻し、資金保全について懸念がある。
○ 賃金は通貨払いが原則であり、いつでも換金できることが重要。
○ 資金移動業者に労働者の賃金や購買に関する個人データが蓄積されることになるため、データの利活用や流出に対する厳格な管理体制の構築が必要。また、本人確認の厳格性といったセキュリティの観点、賃金支払い口座として資金移動業者が適切なのか。
○ スマートフォン等紛失した場合の対応を検討するべき。紛失した場合も銀行のように窓口でのやり取りができず、即座に引き出しができないのではないか。
○ 通貨払いの原則は維持するべき。賃金は労働者の生活の基盤であり、ペイロール払いは労働者保護及び安全性担保の観点から多くの懸念があり、制度化の検討の前に課題の整理が必要。
○ 確実に資金保全がなされるのであれば制度化を進めるべき。技能実習や特定技能の際に活用されるだろう。現在、様々な資金移動業者が登録されていて、事業者としてはどこを選択したらいいのかが分からない。また、振込み手数料を低くして、事業者に負担がかからないようにしてほしい。
○ 資金保全・換金性の2点が重要。資金保全については破綻や不正といったリスクへの対応を検討し、換金性については、通貨と変わらない利便性を確保することが重要。その他の課題については、労働者の同意の取り方やマネロン対策が考えられる。現在でも通貨払いの例外として銀行口座、証券口座が認められているが、それらについて資金保全・換金性・本人同意の在り方がどうなっているかを整理して示してほしい。
上記の意見は抜粋ですが、給与のデジタル払いが解禁された際に、資金を預かる資金移動業者が破綻した際の資金保全、そしてデジタルマネーと現金の換金性について主に仮題だとされています。
資金保全について
資金保全については、現時点では銀行の方が利用者にとっては安心であることは間違いありません。以下がその比較です。
【銀行その他の金融機関の場合】
- 銀行その他の金融機関が破綻した場合、預金保険制度により、一般預金等(利息のつく普通預金や定期預金等)については、1金融機関ごとに預金者1人あたり、元本1000万円までと破綻日までの利息が保護される。
- 預金保険制度で保護される預金等の払戻しに要する時間については、破綻金融機関の預金者データの整備状況によって異なるが、準備が整い次第、速やかに払い戻しが可能となるように対応。※ 金融庁・預金保険機構のパンフレットのQ&Aでは、「例えば金曜日に破綻した場合、翌週月曜日から払い戻せるように努める」とされている。
【資金移動業者の場合】
- 資金移動業者は、各営業日ごとに、「要履行保証額(未達債務[利用者から受け入れた資金]+還付手続費用)」を把握し、基準期間(1週間)における最高額(※1)を、当該基準期間の末日から1週間以内(※2)に供託所に供託することにより、資金を保全する義務がある。供託に代えて金融機関との保全契約を締結することも可能。(※1 信託契約の場合、基準期間を毎営業日とし、各営業日における要履行保証額を、翌営業日までに上回るよう、信託財産を拠出。※2 保全方法については、今後施行される予定である改正資金決済法において、改正されている。)
- 資金移動業者が破綻した場合、利用者は、財務局の還付手続により、供託等によって保全されている資産から弁済を受けることができるが、例えば資金移動業者の取扱額が週ごとに大きく変動しているような場合には、業者破綻時に供託額が必ずしも十分でなく、債権額に応じて按分した額しか受け取れない可能性がある。
- また、十分な額が供託されている場合であっても、債権申出のための公示や配当表の確定等の手続のため、供託金の還付に半年程度が必要。
銀行が破綻した時と、資金移動業者が破綻した時の大きな違いは、預けていた資金が戻ってくるタイミングです。
銀行は、早ければ翌営業日から払い戻しが可能ですが、資金移動業者の場合は、半年程度がかかります。
給与を全て資金移動業者に預けていた場合には、一気に生活が困窮することになりかねません。
厚労省の考え方
厚生労働者の165回労働紋策務議会で示された給与のデジタル払いを認める条件案は以下のようなものでした。
1.資金保全
・労働者の生活の糧である賃金について、資金移動業者が破綻した場合に、①十分な額が、②早期に、労働者に支払われる仕組みが必要ではないか。
※ 現行の資金決済法の仕組みでは、供託金が還付されるまで、債権申出や配当表確定の手続きに約半年かかる2.不正引出し等への対応
・セキュリティ不備による不正引出し等への対策や補償の仕組みが必要ではないか。3.換金性
・賃金は通貨払いが原則であることを踏まえれば、適時に換金(出金)できることが必要ではないか。4.その他
・厳格な本人確認等、賃金支払業務を適正かつ確実に行うことができる体制を有していることが必要ではないか。
このうち、上記2の「不正引出し等への対応」については、資金移動業の利用者のアカウントを不正に利用する場合(乗っ取り)の補償等について、日本資金決済業協会において検討を行い、今後指針等として取りまとめる予定とされています。
従って、上記1、3、4がクリアされれば、政府としては給与のデジタル払いを認めようという方向で動いていることになります。
まとめ
給与のデジタル払いは、課題があります。
上述の通り、払われた給与をプールしている資金移動業者の破綻リスクは大きな問題です。しかし、報道ベースでは、事業者が先に保証会社や保険会社と契約をしておき、仮に破綻しても数日以内で支払いができるようにする仕組みを導入することが検討されているようです。保証会社・保険会社の信用力に問題がなければ、これで資金保全面はクリアされるでしょう。
また、厚生労働省は、給与のデジタル払いを受け入れるかは、あくまで給与を受け取る側が選択できるようにするとしています。
筆者は、給与のデジタル払いは是非とも実現すべきだと考えています。
既存の金融機関(銀行やノンバンク)には受けが悪いでしょう。振込手数料や自動引き落とし等で収益が見込めなくなるかもしれない銀行には反発があるでしょうし、給与が払われる頻度が高くなると、給与が払われるまでの一時的な資金の借入ニーズが無くなります。
しかし、銀行口座で給与の支払いを受ける慣行は、やはり正社員を前提とした仕組みです。安定的に収入が入るから成り立つのです。
非正規雇用者・副業従事者・外国人労働者という形で、(良いか悪いかは置いておいて)日本の雇用は流動化していくでしょう。コロナはこの流れを加速させるはずです。
そうすると、給与の受け取りは出来る限り利便性の高い形で行えた方が、労働者にとってもメリットがあります。
早期の実現を期待します。(銀行にとってはつらいですけど)