銀行員のための教科書

これからの時代に必要な金融知識と考え方を。

平成の時代に銀行はどうなったのか~平成の銀行統合史~

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平成の時代においても、様々な産業・企業に変化が訪れました。その一つが銀行業界でしょう。

そもそもメガバンクの前身である都市銀行(都銀)が何行あったか、もしくは大手と呼ばれている銀行が何行あったか、覚えていらっしゃる方は少なくなってきているかもしれません。

今回は、平成の銀行における変遷を確認したいと思います。

 

みずほFGの変遷

平成の銀行統合において、最もインパクトがあったと筆者が考えるのは、みずほの発足です。2000年9月に都市銀行である『第一勧業銀行』『富士銀行』と長期信用銀行である『日本興業銀行』が統合してスタートしました。

この3行はいずれも日本トップバンクとされたことがあるほどの名門銀行でした。

第一勧業銀行は宝くじの販売でご記憶の方もいるかもしれません。第二次世界大戦(大東亜戦争)後初の合併により一時は都銀最大となった銀行です。

富士銀行は芙蓉グループ(安田財閥等)の中核企業であり、同じように都市銀行トップの時期がありました。

日本興業銀行は、いわずと知れた日本の高度成長を支えた産業金融の雄です。日本興業銀行の産業調査部は特に有名で、他行でも日本興業銀行が貸し出しを行うのであれば追随するところがあったものです(日本興業銀行がOKしてるのだから問題ない貸出という判断)。

これだけの銀行が経営統合を選択したということは、1990年代後半から2000年頃にかけての不良債権処理がいかに凄まじいものだったかを象徴する出来事でした。

みずほFGは、上記3行に加え、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)を加えた4行が母体となっています。

令和の時代には、現在のメガバンクグループも銀行中心ではなくなっているかもしれませんが、少なくとも平成の時代には銀行がフィナンシャルグループの中心ではありました。

 

三井住友FGの変遷

三井住友FGは、2001年4月のさくら銀行と住友銀行の合併により発足しています。

この合併は、持株会社による統合ではありませんでした。実際に三井住友FGが持株会社として設立されたのは2002年に入ってからです。

さくら銀行は1990年4月に太陽神戸銀行と三井銀行が合併し太陽神戸三井銀行となり、その後、1992年に商号変更してさくら銀行となっています。財閥としては三井グループの一社です。平成の時代における都市銀行の最初の合併は、太陽神戸三井の誕生でした。

住友銀行は、まさに住友グループの中核企業であり、三井グループと住友グループという財閥を跨いだ合併はみずほの統合とは異なる衝撃を与えました。

また、日本における商号と英語での商号が異なることでも話題となりました。日本では三井が先に来ましたが、英語ではSumitomo Mitsuiとなっており、住友が先に来ています。日本では対等な統合を強調し、海外では主導銀行を明確化しており、日本らしいロジックかもしれませんが一つの先例となったと言えます。

また、この合併自体は住友銀行によるさくら銀行の実質的な救済の側面が強かったため、住友銀行主導で合理化がなされていったことは経費率の観点等から結果として良かったと言えるでしょう。

後に、会計上のテクニックを用いるため、地銀のわかしお銀行との逆さ合併(わかしお銀行を存続会社とした)しており地銀も統合されていますが、実質的には住友、太陽神戸、三井の3行の合併によるフィナンシャルグループです。

大手の信託銀行がフィナンシャルグループ傘下に入っていないことが特徴でしょう。

 

三菱UFJFGの変遷

現在、日本で最大のメガバンクグループです。

何と言っても三菱とUFJの2つのメガバンクグループが統合して発足したというところがポイントでしょう。

まず平成の時代では、1996年4月に東京銀行と三菱銀行が合併して東京三菱銀行が発足しています。東京銀行は外為専門銀行として海外に強く、三菱銀行は三菱グループの財閥の中心でした。この合併により都銀では中位に位置していた三菱銀行が一躍トップに躍り出ました。

そして、2001年4月に同じ三菱グループの三菱信託銀行を傘下に収め、東京三菱銀行の子会社であった日本信託銀行と共に三菱東京FGを発足させています。

同じタイミングで三和銀行、東海銀行、東洋信託銀行が2001年4月に経営統合し、UFJホールディングスを発足させました。関西地盤の三和、東海地盤の東海に別業態の東洋信託の組み合わせであり、重複が少ない統合でした(本来はこのUFJには現りそなのあさひ銀行も加わる予定でした)。

そして2005年10月に三菱UFJFGが発足しました。

検査忌避等で金融庁に追い込まれたUFJを実質救済する形で統合しています。

これにより、都市銀行が4行、信託銀行が3行(かつての上場先のみ)統合した巨大フィナンシャルグループが形成されました。

 

りそなHDの変遷

りそなHDも複数の銀行の集合体です。

まず同じ都銀の埼玉銀行と協和銀行が1991年4月に合併し、1992年にあさひ銀行への商号変更しました。

一方、大和銀行は2001年12月に大和銀HDを設立し、都銀の大和銀行、地銀の近畿大阪銀行、奈良銀行と経営統合しています。

その後、2002年3月に大和銀HDにあさひ銀行が合流し、2003年3月にりそなHDへ商号変更しています。この時点で大和銀行とりそな銀行が合併すると共に、旧埼玉銀行が会社分割により外に出て埼玉りそな銀行となりました。

2018年4月には傘下の近畿大阪銀行(地銀)と三井住友FGの傘下だった関西アーバン銀行・みなと銀行(両方とも地銀)が統合し関西みらいFGを発足させています。

りそなHDは地銀、その中でも第二地方銀行が多く参加していることが特徴的です。

りそなHDに参加した地銀は合計で12行あります。

第一地銀だった大阪銀行を除くと、残り11行は第二地銀です。念のため行名を挙げておくと、近畿、なにわ、福徳、奈良、びわこ、京都共栄、幸福、関西、兵庫、阪神です。

なにわ銀行と福徳銀行が1998年に合併しなみはや銀行発足、大阪銀行と近畿銀行が2000年4月に合併し近畿大阪銀行、2001年2月になみはや銀行が近畿大阪銀行と大和銀行へ営業譲渡しています。

奈良銀行は2006年1月にりそな銀行と合併しています。

京都共栄銀行は1998年に幸福銀行へ営業譲渡し、幸福銀行(2001年から関西さわやか銀行)は関西銀行が2004年に吸収しました(関西アーバン銀行へ商号変更)。そして、関西アーバン銀行は2010年にびわこ銀行を吸収しています。

兵庫銀行(後のみどり銀行)と阪神銀行は1999年に合併しみなと銀行を発足させています。

以上により残っていた近畿大阪銀行(りそなHD傘下)、関西アーバン銀行(三井住友FG傘下)、みなと銀行(三井住友FG傘下)の3行がりそなHD主導で関西みらいFGを2018年4月に結成し、傘下の近畿大阪銀行と関西アーバン銀行が2019年4月に合併し、関西みらい銀行が発足しました(みなとは単独で存続)。

りそなHDは全国の地銀をさらに統合していくスーパーリージョナル構想を更に推し進めていくことになるのでしょう。

りそなHDは、平成の時代に都銀3行、第一地銀1行、第二地銀11行の統合を行っています。

 

三井住友トラストHDの変遷

都銀ではありませんが三井住友トラストHDも大手銀行の一つです。

まず、都銀である北海道拓殖銀行の北海道外における事業を中央信託銀行が1998年に営業譲渡で引き継いでいます。 

 そして2000年4月に三井信託銀行と中央信託銀行が合併して中央三井信託銀行が発足しました。2002年2月には持株会社を設立し三井トラストHDが発足しています(その後中央三井トラストHDに商号を変更しています)。

2011年4月に住友信託銀行と中央三井トラストHDが経営統合し、三井住友トラストHDが発足しました。傘下の住友信託銀行と中央三井信託銀行は2012年4月に合併し三井住友信託銀行となっています。

三井住友トラストHDは三井住友銀行を中心とする三井住友FGと基盤とする財閥は同じですが、現在のところ独立しています。近時でも、みずほFGと資産管理における信託銀行を統合する等、独自路線を歩んでいます。

三井住友トラストHDは、大手信託銀行3行と都銀(北海道拓殖の道外事業)の一部が統合したフィナンシャルグループと言えるでしょう。

 

平成における新規参入銀行

平成における新規参入銀行はネット、小売が主です。

  • 2000年 ジャパンネット
  • 2001年 アイワイバンク(現セブン銀行)
  • 2001年 イーバンク(現楽天銀行)
  • 2004年 日本振興(現イオン銀行へ承継)
  • 2007年 シティバンク(その後、SMBC信託およびシティバンク、エヌ・エイ東京支店へ事業譲渡)
  • 2007年 住信SBIネット
  • 2007年 イオン
  • 2008年 じぶん
  • 2009年 SBJ(※新韓銀行の在日支店の営業譲渡を受け開始)
  • 2011年 大和ネクスト
  • 2018年 ローソン
 

まとめ

平成の時代は、都銀13行、長期信用銀行3行、信託銀行7行の大手23行がありましたが、現在では(新生、あおぞらを含め)7陣営に集約されました。
令和の時代は、大手行の更なる統合もあるかもしれませんが、むしろ地銀の統合の時代となる可能性が高いでしょう。
そして、銀行というカテゴリーが過去のものとなる可能性もあります。現在の銀行の果たしている機能が分割され、フィンテック企業やIT企業が銀行の代替を果たしていくかもしれません。
また、場合によっては、業態をまたぎ、銀行と証券のみならず、損保・生保と銀行との統合ということも考えられないことはないでしょう。
銀行業は将来的にデータを流通させる事業となると予想する方もいらっしゃるかもしれませんが、筆者はデータというよりはデータを分析した後に認識できる「リスクを流通させる事業」こそが銀行業であり、強みだと認識しています。現在は、保険業界との統合は規制・企業文化(特に時間軸)を勘案すると難しいかもしれませんが、少なくとも資産運用の分野等では提携していけるでしょう。
令和の時代に銀行業に何が起きていくのか、注目して見守っていきたいと思います。