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賃金が抑制されてきた要因と、これから上がるかもしれない背景

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日本では労働者の賃金が長期傾向として減少してきたことをご存知の方は多いでしょう。 しかし、なぜ賃金は減少してきたのでしょうか。

また、現在は人手不足と言われています。ヤマト運輸のドライバー不足の問題や、コンビニの24時間営業問題等が報道されています。人手不足だったらもっと給料は上がって良いのではないでしょうか。

今回は、日本全体における賃金が抑制されてきた要因と、今後の賃金動向に影響するかもしれない背景について、日本銀行が作成した資料を抜粋して、確認していきましょう。

 

賃金が抑制されてきた要因①

日本銀行が2019年7月に、人手不足が深刻さを増す一方、賃金の顕著な上昇が見られない背景について最新データを用いて考察した「賃金上昇が抑制されるメカニズム」を発表しました。今回は、この日銀の論文内容を確認していくことにします。

賃金上昇が抑制されるメカニズム/日本銀行

http://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2019/data/wp19j06.pdf

2010年代に入り、有効求人倍率は右肩上がりに上昇してきていますが、一般労働者と短時間労働者に共通して、実質賃金には目立った増加が見られず、一時的には減少する局面も存在しています。賃金の伸び悩みの理由については雇用者に占める非正規比率の上昇を挙げる声も多いですが、2010年代後半以降になると、非正規比率は37~38%程度で安定しています。正規であれ、非正規であれ、深刻な人手不足にもかかわらず著しい賃金の増加がみられてこなかったのが、直近の日本の労働市場の特徴です。

今まで、賃金が上がらなかったのは、労働供給に占める女性や高齢者の比重が高まったことが要因の一つとされています。

よく知られた女性労働力率のM字カーブも、2000年代以降は20代後半から30代の労働力の底上げによって解消に向かって変化した。加えて定年延長や再雇用制度の普及、さらには老後の所得補填ニーズの高まり等を背景に、高齢者の労働力率も2000年代に高まった。具体的には、60~64歳の労働力率は2000年の55.5%から2018年に70.6%に増加した他、65~69歳でも同期間中に37.5%から47.6%へと大きく上昇した。

そして、女性や高齢者は、比較的安い賃金を甘受してきました。女性や高齢者が労働市場に供給されることによって、賃金の上昇が抑制されてきたということになります。
 

賃金が抑制されてきた要因②

また、賃金が抑制されてきた要因には、労働者と企業の傾向があります。

行動経済学を踏まえた実証研究や理論研究では、労働者は賃金が現状の水準から下がることを嫌い、実際に下がってしまうと働く意欲などに少なからずマイナスの影響を及ぼすことが指摘されてきた。それは同時に、賃金が下がらないのであれば賃金増加にはさほど執着しないことも意味していた。

(中略)

一方、企業にとって、先行きの業績見通しについては不確実性が大きく、業績悪化のために人件費カットに迫られる事態も将来的には少なからず予想されている。このとき、いったん賃金を増やしてしまうと、将来不測の事態が生じても再び賃金を下げることが難しく、場合によっては、企業の存続すら危ぶまれる状況すら生じかねない。反対に企業が賃金を下げることさえ回避し続ければ、労働者はそれほど不満や意欲の低下を示したりしない。そのため人手不足であったとしても、賃金を上げることに企業は慎重となり、現行の賃金水準の維持を優先することになる。

この労働者の心理というものが、賃金抑制の要因となってきたことも納得感はあるでしょう。

また、賞与(ボーナス)については以下のように支給されていたことを日銀の論文は指摘します。

利益率の1%の下落は、今期のボーナスを4~5%程度押し下げるのに対して、1%の上昇は、ボーナスを1~2%程度しか押し上げてこなかったことがわかる。ここからは、収益の増加に伴うボーナス支給の増加が、縮小局面における減少と比較すると、抑制されてきたことが確認できる。  

一般労働者の名目賃金全体に占める特別給与(賞与・ボーナス)の割合は、1990年代初の25%から2000年代には20%程度まで低下しています。2013年以降になると、好調な企業収益を反映し、賞与・ボーナスの割合は上昇しつつあるものの、その戻りは緩やかなのです。 

 

賃金が上昇する要因 

しかし、女性や高齢者が人手不足の受け皿となってきたことは間違いありませんが、今後は女性や高齢者の労働供給が「枯渇する」可能性はないのでしょうか。 

まず、高齢者では、2013年頃からの再雇用制度の普及などが退出効果の抑制を強めてきたと考えられます。一方で、2017年以降、高齢労働者のボリュー ゾーンを占めていた所謂「団塊世代」が65~69歳層(平均労働率45%)から70~74歳(同30%)へと移行し始めており、それが退出抑制の効果を薄めてきています。団塊世代の高齢労働力に占めている割合は大きく、2019年以降、団塊世代が70歳代に完全に移行すると、高齢労働者が退出しないことによる賃金の抑制効果は縮小傾向を辿る可能性が高いとされています。

一方、女性については、「就業希望を持つ非労働力女性」のうち、仕事がみつかれば「すぐにつける」といったサーチ期間の短い無業者は減少を続け、2018年以降には10万人台を割り込もうとしています。一方で、「2・3週間目以降ならつける」とする比較的サーチ期間の長い女性は、足もとでも 30万人程度存在します。

このような一定期間のジョブサーチを選択する非労働力女性の理由として、配偶者の年収が高い女性の労働市場への参入が、2016年後半以降、急速に拡大していることの影響が考えられます。

配偶者の年収別に25~34歳および35~44歳の女性の労働力率をみると、年収が高いほど労働力率は低い傾向がみられますが、2016年後半からは500万円もしくは700万円以上といった相対的に高所得の配偶者である妻の労働力率が上昇している姿が確認されています。就業構造基本調査(2017)から配偶者の年収が高い非労働力女性の就業希望を理由別にみると、「失業」といった金銭的な理由というよりは「社会に出たい」に加えて「知識や技能を生かしたい」といった内容が多いため、安い労働力として社会に出てくる可能性は低いものと考えられます。

加えて、製造業、建設業、飲食業等では賃金上昇を生産性向上が相殺することで単位費用の上昇を抑制してきています。一方、人手不足に伴う宅配ドライバー等の待遇改善に向けた賃上げの影響に代表されるように、他の産業では賃金上昇が生産性の伸びを上回り、物価上昇の誘因となり得る状況も存在しています。 

 

まとめ

以下、日銀の論文を改めて抜粋します。

  • 女性については賃金の大幅上昇を伴う転換期が迫りつつあることは示唆された。労働供給の賃金弾力性が高く(筆者註:安い労働力を提供する可能性が高い)、即座に就業可能な女性は既に枯渇気味となっている。代わって世帯所得が高く、留保賃金の高い女性無業者の労働市場への参入が始まりつつある。今後も女性に対する労働需要が拡大を続ければ、急速にその賃金が上昇する可能性は小さくない。
  • さらに若年・壮年の女性のみならず、拡大を続けた高齢者の労働人口にも、一定の収斂状況が確実に訪れる。2010年代前半期を中心に、高齢者が引退を回避する傾向は強まり、それが拡大する非正規求人の貴重な受け皿となってきた。今後は高齢労働者のボリュームゾーンを占めてきた団塊世代が70歳代に突入し、本格的な引退を迎え始める。同世代の引退完結時点では、高齢者の労働供給拡大により回避されてきた賃金上昇にも変化が生じることも予想される。
  • 製造業、建設業、飲食・宿泊などでは労働生産性上昇の効果が大きい反面、卸小売、医療福祉、サービスなどでは生産性上昇の効果は乏しかった。高齢社会の進展に合わせて医療福祉関連の産業が引き続き拡大すれば、生産性上昇によるコスト圧縮効果は経済全体でみても制限される。

上記要因を見ると、賃金は上昇する可能性があることが見て取れます。

実際には、AIやRPAによる生産性の向上、オンライン・プラットフォームを通じた働き方の拡大等が賃金に与える影響も想定されます。

将来を予想することは非常に難しいですが、労働力が不足すること自体は間違いありません。賃金動向について今後も注目していきたいと思います。