菅首相が国民皆保険の見直しを発言したと話題になっています。
この話題は、新型コロナウィルスの感染拡大に伴う医療法改正を検討するかという質問に対して、菅首相が「医療法についても今のままでいいのかどうか。国民皆保険、そして多くの皆さんが診察を受けられる今の仕組みを続けて行く中で、今回のコロナがあって、そうしたことも含めて、もう一度検証していく必要はあると思っています」と答えたことから始まっています。
首相回答について「菅首相が国民皆保険の見直しに言及した」とSNS上で話題が沸騰しました。
それに対して、官房長官が「国民皆保険制度を維持し、対応力を高めていくという考え方はこれまでも一貫している」と述べ、首相発言については「皆保険制度という根幹をしっかりと守っていく中でどう考えていくのか検証、検討していきたいと言ったと思う」と説明しています。
言い間違いが多いと言われる首相の発言が、なぜここまで注目されたのでしょうか。なぜ、国民皆保険の見直しで話題が沸騰するのでしょうか。
今回は、国民皆保険という日本の健康保険制度について確認していきたいと思います。
日本の国民皆保険制度の全体像
日本の国民皆保険制度は、全ての国民をなんらかの医療保険に加入させる制度です。
そして、基本的な考え方は、医療保険の加入者が保険料を出し合い、病気やけがの場合に安心して医療が受けられるようにする相互扶助の精神に基づいています。
この日本の国民皆保険制度の全体像は以下のようになっています。
(出所 日本医師会Webサイト)
公的医療保険は、会社などに勤めている人が加入する「被用者保険」、地域保険とも呼ばれ、農家やフリーランス、非正規雇用者、会社を退職した人などが加入する「国民健康保険」、75歳以上を全員対象とする「後期高齢者医療制度」の大きく3つに分けることができます(出所:日本医師会Webサイト)。
この国民皆保険制度によって支払われる医療費は、公費4割、保険料5割、患者負担1割となっています(下図の左グラフ)。
(出所 厚生労働省「平成30年度 国民医療費の概況」)
2018年の国民医療費の総額は43兆3,949億円です。人口一人当たりでは、国民医療費が343,200円となります。
医療費は、医科診療で約7割、薬局調剤で2割弱、それ以外が歯科診療等となります。
医療費は、65歳以上の高齢者が6割を使用しています。そして全体の4割弱を後期高齢者と呼ばれる75歳以上が使用しています。
日本の国民皆保険制度の問題の重要なポイントは、相互扶助の精神に基づき医療保険の加入者が保険料を出し合って運営されていくはずであるのに、現在は公費(要は税金)が4割使われているということです。
日本は国民皆保険であるので、国民全員が保険に加入しているのであれば、その徴収方法が健康保険料であろうと税金だろうとかまわないという考え方もあるでしょうが、設立の精神からは逸脱してきていることは間違いありません。
そもそも、保険料で運営していくことは「現在生きている全ての国民が費用を負担すること」ですが、日本が国債等の借金で歳入の相応の部分を賄っている以上、公費の投入は「現在の医療費負担を将来世代へ先送りしている」という違いがあるのです。
後期高齢者への支援
この国民皆保険の問題点は、当たり前といえば当たり前なのですが、医療費がかかってしまう高齢者の負担をどうするかという点です。
(出所 令和2年版高齢社会白書)
75歳以上の後期高齢者は、後期高齢者医療制度に原則加入しています。
2017年度の年齢階級別1人当たり医療費(医療保険制度分)を見ると、60歳から64歳で36.7万円であるのに対し、75歳から79歳で77.5万円、80歳から84歳で93.0万円となっています。すなわち、60~64歳の医療費と75歳以上の医療費は2倍以上の差となっています。
当然ながら、75歳以上の後期高齢者だけで後期高齢者医療制度の費用負担を分け合うことは現実的ではありません。
そのため、この75歳以上の後期高齢者の医療にかかる費用は以下のように、公費5割、後期高齢者支援金(要は現役世代の仕送り)4割、後期高齢者の保険料1割で運営されています。
(出所 厚生労働省)
この現役世代からの支援金が、健康保険組合の存続を脅かしています。
健康保険組合の現状
企業が設立する健康保険組合の連合組織である健康保険組合連合会(健保連)は新型コロナ禍による健保組合の財政影響を発表しています。
(出所 健保連「健康保険組合のコロナ影響下3年間収支見通し(リスクシナリオ)」)
企業の健康保険組合の財政は、上記の通り加入者のために使う保険給付費は集めた保険料の半分程度です。そして集めた保険料の約4割程度が上述の高齢者支援金として拠出されています。
このため、健康保険組合ではコロナ前から赤字の組合が多く、コロナ禍においては保険料を引き上げざるを得ないところが更に増加するでしょう。その場合には、費用負担に耐え切れず、健康保険組合を解散し、協会けんぽ等公的保険へ移行していく企業の健康保険組合も出てくるものと思われます。
高齢化の状況と現役世代の負担増
では、このような後期高齢者への支援金負担は今後どのようになっていくのでしょうか。
以下は日本の高齢化の将来推計です。
(出所 令和2年版高齢社会白書)
日本の総人口は、2019年10月1日現在、1億2,617万人となっています。
65歳以上人口は、3,589万人となり、総人口に占める割合(高齢化率)も28.4%となっています。
そして、後期高齢者支援金を受ける世代である「75歳以上人口」は1,849万人(男性729万人、女性1,120万人)で、総人口に占める割合は14.7%です。75歳以上の人口は、日本の総人口の中でどんどんと割合が高くなっていくことになります。
2030年には、75歳以上人口は2,288万人まで上昇、総人口に占める割合は19.2%となります。
この推計等を前提とすると以下の試算ができます。
- 2018年における75歳以上(合計17,975千人)の医療費は16兆5,138億円
- この4割を現役世代が後期高齢者支援金で支えており、その額は6兆6,055億円であり、後期高齢者一人当たりが現役世代に支援を受けている額は367,483円
- 現役世代を仮に15~64歳の国民とした場合、2018年時点の現役世代人口は75,451千人
- 6兆6,055億円を現役世代人口の75,451千人で割ると、2018年における現役世代一人当たりの後期高齢者支援額は87,547円となる
- 2030年に、後期高齢者への一人当たり支援必要額が上述の367,483円と同じ水準と仮定した場合、2030年は75歳以上の後期高齢者の人口が22,880千人と増加する推計となっているため、支援金総額も367,483円×22,880千人=8兆4,080億円まで増加
- 一方で、15~64歳の現役世代の人口は68,750千人まで減少
- この場合、2030年の現役世代一人当たりの後期高齢者支援金は、8兆4,080億円÷68,750千人=122,298円となり、2018年比で約4割アップ増加
簡単な試算ではありますが、後期高齢者が増加し、現役世代が減少していくことが少子高齢化です。現役世代の支援金は事業主(企業)との折半の分もありますので、全額を現役世代が支払う訳ではありませんが、それでも2018年比で現役世代一人当たりの負担額が4割増加するというのは、衝撃的ではないでしょうか。
所見
筆者は、今回の首相発言が注目された背景には、日本の健康保険制度に対する国民の漠然もしくははっきりとした不安があると考えています。
例えば、会社の健康保険組合の健康保険料が引き上げられていくのを見るにつけ、社会保障全般に対して、持続可能性が薄い、と考え始めている個人が多いのではないでしょうか。
日本の社会保障は、年金も医療も現役世代が高齢者世代を支える仕組みになっています。しかし、少子高齢化が更に進むにつれて、現役世代の負担が重くなり過ぎる時がきます。
それを誰もが、感覚的に気付いているのではないでしょうか。現役世代も親世代を支えること自体は否定しないでしょうが、それでも支援するには限界があるのです。それにもかかわらず、今の政治や制度を見ていると現役世代に負担が次々と求められ続けているだけです。そこにコロナがダメ押しとなって、国民皆保険制度が見直しになるとすれば「さすがにそれは勘弁して欲しい」と考えるのではないでしょうか。
筆者は、結局のところ、給付と負担のバランスを見直すしか、少子高齢化の環境下における医療費問題を乗り切る解はないのではないかと考えています。筆者にも高齢の親がいますが、親世代が医療費においても負担増を受け入れる、もしくは受ける医療サービスを抑制しなければ、現役世代の家計が成り立たない時代が来ます。残念ですが、受け入れなければならない現実です。
今回の首相が国民皆保険の見直しを発言したと話題になってしまった理由は、このどうしようもなく想定される未来が「自分の代で、もう到来してしまったのか」と、現役世代が誤解してしまったからではないでしょうか。そんな風に筆者は考えています。皆さんは如何でしょうか。