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厚労省が作成した微妙な「パワハラ防止指針」

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厚生労働省(厚労省)が労働政策審議会の分科会で、企業などが行うべき職場でのパワーハラスメント(パワハラ)防止策の具体的内容を定める指針の素案を示しました。

この指針案が、むしろパワハラを助長するのではないかとの疑問の声が出ています。

パワハラを防止策のはずが、なぜパワハラを助長するとまで言われているのでしょうか。

今回は厚労省のパワハラ防止にかかる指針案の内容について確認していきましょう。

 

報道内容

まずは、厚労省の指針の全体像を掴みましょう。以下は新聞記事からの引用です。 

パワハラ「該当例」「該当しない例」…厚労省指針の素案で初の例示
2019/10/22 読売新聞

 厚生労働省は21日に開かれた労働政策審議会の分科会で、企業などが行うべき職場でのパワーハラスメント防止策の具体的内容を定める指針の素案を示した。厚労省は年内に指針をまとめることを目指している。

 素案では、パワハラの典型的な類型ごとに、該当する例と該当しない例を初めて示した。例えば「暴言」に該当する例としては、人格を否定する発言や、他の社員の前で大声で叱責を繰り返すことなどを挙げているが、遅刻や服装の乱れなどを再三注意しても改善されない時に、強く注意することは該当しないとした。
 このほか、「暴行」や、能力や経験とかけ離れた簡単な業務をさせる「過小な要求」などの類型についても、パワハラに該当する例としない例を提示。「誤ってぶつかる、物をぶつけてしまうなどしてケガをさせること」「経営上の理由で、一時的に能力に見合わない仕事をさせること」などは、パワハラに「該当しない」とされた。
 これに対し、日本労働弁護団は「『該当しない例』は抽象的で、幅広く解釈されるおそれがあり、責任逃れに悪用される危険性が高い」などとして、抜本的な修正を求める声明を出した。

(以下略)

https://www.yomiuri.co.jp/national/20191022-OYT1T50080/

以上が指針案の概要です。

次に指針案を詳しく見ていくことにしましょう。

 

厚労省の指針案

厚労省が労働政策審議会の分科会で提示したのが「職場におけるパワーハラスメントに関して雇用管理上講ずべき措置等に関する指針の素案」です。 

(全文は以下リンク先)

https://www.mhlw.go.jp/content/11909500/000559314.pdf

この指針案のポイントは以下の通りです。

 

【職場におけるパワーハラスメントとは】

〇 職場におけるパワーハラスメント:職場において行われる①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの要素を全て満たすもの。 なお、客観的にみて、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導については、職場におけるパワーハラスメントには該当しない。

〇 「職場」:事業主が雇用する労働者が業務を遂行する場所。当該労働者が通常就業している場所以外の場所であっても、当該労働者が業務を遂行する場所については、「職場」に含まれる。

〇 「優越的な関係を背景とした」言動:当該事業主の業務を遂行するに当たって、当該言動を受ける労働者が行為者に対して抵抗又は拒絶することができない蓋然性が高い関係を背景として行われるもの。例えば、以下のもの等が含まれる。

  • 職務上の地位が上位の者による言動
  • 同僚又は部下による言動で、当該言動を行う者が業務上必要な知識や豊富な経験を有しており、当該者の協力を得なければ業務の円滑な遂行を行うことが困難であるもの
  • 同僚又は部下からの集団による行為で、これに抵抗又は拒絶することが困難であるもの

〇 「業務上必要かつ相当な範囲を超えた」言動:社会通念に照らし、当該言動が明らかに当該事業主の業務上必要性がない、又はその態様が相当でないもの。例えば、以下のもの等が含まれる。

  • 業務上明らかに必要のない言動
  • 業務の目的を大きく逸脱した言動
  • 業務を遂行するための手段として不適当な言動
  • 当該行為の回数、行為者の数等、その態様や手段が社会通念に照らして許容される範囲を超える言動

この判断に当たっては、様々な要素(当該言動の目的、当該言動を受けた労働者の問題行動の有無や内容・程度を含む当該言動が行われた経緯や状況、業種・業態、業務の内容・性質、当該言動の態様・頻度・継続性、労働者の属性や状況、行為者との関係性等)を総合的に考慮することが適当。その際には、個別の事案における労働者の行動が問題となる場合は、その内容・程度とそれに対する指導の態様等の相対的な関係性が重要な要素となることについても留意が必要。 このため、個別の事案の判断に当たっては、相談窓口の担当者等がこうした事項に十分留意し、丁寧に事実確認等を行うことが重要。

〇 「就業環境を害すること」:当該言動により労働者が身体的又は精神的に苦痛を与えられ、労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じること。この判断に当たっては、「平均的な労働者の感じ方」、すなわち、同様の状況で当該言動を受けた場合に、社会一般の労働者の多くが、就業する上で看過できない程度の支障が生じたと感じるような言動であるかどうかを基準とすることが適当。

 

【代表的な言動の類型】

<暴行・傷害(身体的な攻撃)>

(該当すると考えられる例)

  • 殴打、足蹴りを行うこと。
  • 怪我をしかねない物を投げつけること。

(該当しないと考えられる例)

  • 誤ってぶつかる、物をぶつけてしまう等により怪我をさせること。

<脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)>

(該当すると考えられる例)

  • 人格を否定するような発言をすること。(例えば、相手の性的指向・ 性自認に関する侮辱的な発言をすることを含む。)
  • 業務の遂行に関する必要以上に長時間にわたる厳しい叱責を繰り返し行うこと。
  • 他の労働者の面前における大声での威圧的な叱責を繰り返し行うこと。
  • 相手の能力を否定し、罵倒するような内容の電子メール等を当該相手を含む複数の労働者宛てに送信すること。
(該当しないと考えられる例) 
  • 遅刻や服装の乱れなど社会的ルールやマナーを欠いた言動・行動が見られ、再三注意してもそれが改善されない労働者に対して強く注意をすること。
  • その企業の業務の内容や性質等に照らして重大な問題行動を行った労働者に対して、強く注意をすること。

<隔離・仲間外し・無視(人間関係からの切り離し)>

(該当すると考えられる例)
  • 自身の意に沿わない労働者に対して、仕事を外し、長期間にわたり、 別室に隔離したり、自宅研修させたりすること。
  • 一人の労働者に対して同僚が集団で無視をし、職場で孤立させること。

 (該当しないと考えられる例) 

  • 新規に採用した労働者を育成するために短期間集中的に個室で研修等の教育を実施すること。
  • 処分を受けた労働者に対し、通常の業務に復帰させる前に、個室で必要な研修を受けさせること。

<業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)>

(該当すると考えられる例)

  • 長期間にわたる、肉体的苦痛を伴う過酷な環境下での勤務に直接関係のない作業を命ずること。
  • 新卒採用者に対し、必要な教育を行わないまま到底対応できないレベルの業績目標を課し、達成できなかったことに対し厳しく叱責すること。
  • 労働者に業務とは関係のない私的な雑用の処理を強制的に行わせること。
(該当しないと考えられる例)
  • 労働者を育成するために現状よりも少し高いレベルの業務を任せること。
  • 業務の繁忙期に、業務上の必要性から、当該業務の担当者に通常時よりも一定程度多い業務の処理を任せること。

<業務上の合理性なく能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過小な要求)>

(該当すると考えられる例)

  • 管理職である労働者を退職させるため、誰でも遂行可能な業務を行わせること。
  • 気にいらない労働者に対して嫌がらせのために仕事を与えないこと。

 (該当しないと考えられる例) 

  • 経営上の理由により、一時的に、能力に見合わない簡易な業務に就かせること。
  • 労働者の能力に応じて、業務内容や業務量を軽減すること。
<私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害)>
(該当すると考えられる例)
  • 労働者を職場外でも継続的に監視したり、私物の写真撮影をしたりすること。
  • 労働者の性的指向・性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、当該労働者の了解を得ずに他の労働者に暴露すること。
(該当しないと考えられる例)
  • 労働者への配慮を目的として、労働者の家族の状況等についてヒアリングを行うこと。
  • 労働者の了解を得て、当該労働者の性的指向・性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、必要な範囲で人事労務部門の担当者に伝達し、配慮を促すこと。 

 

以上が指針案のポイントです。

 

指針案に対する外部からの指摘

厚労省の指針案に対して日本労働弁護団が「パワハラ助長の指針案の抜本的修正を求める緊急声明」を出しました。

労政審で厚生労働省事務局より示された指針案(本日の労政審資料1-1)は、以下のとおり、実効的なパワハラ防止策となっていないばかりか、むしろパワハラの範囲を矮小化し、労働者の救済を阻害するものであるため、反対の意見を緊急に表明する。この内容では、使用者にパワハラに当たらないという言い訳を許し、かえってパワハラを助長しかねないものであり、「使用者の弁解カタログ」となるような指針などない方がましである。

(出所 日本労働弁護団が「パワハラ助長の指針案の抜本的修正を求める緊急声明」)

上記のように厚労省の指針案を批判しています。労働組合系の弁護団であり表現が厳しいのはともかく、その主張のポイントは以下の通りです。

<「優越的」の定義が狭すぎる>

  • パワハラを定義づける「優越的」とは、「抵抗又は拒絶することができない蓋然性が高い関係」としている。
  • しかし、「抵抗又は拒絶することができない蓋然性が高い関係」とは、大きな力関係の差を必要とする定義であり、単なる同僚同士の場合にはもちろん、場合によっては上司と部下の関係であってもパワハラから除外される危険性がある。また、労働者がパワハラを訴えた際に、「抵抗または拒絶できない関係ではない」「その蓋然性は高くない」からパワハラには当たらない、との使用者からの言い訳や反論を許すことになる。
  • 「抵抗又は拒絶することができない蓋然性が高い関係」との定義は、これまでの解釈以上にパワハラの範囲および使用者の責任を極めて限られたものに限定するものであり、大きな問題がある。そもそも業務上必要かつ相当な範囲を超え労働者の就業環境を害する行為は、優越的関係の有無にかかわらず防止すべきであるから、「優越性」の要件は法文から削除すべきである。

労働者の問題行動の有無を重視すべきではない

  • 指針案では、「業務上必要かつ相当な範囲を超えた」言動であるかの判断にあたって、「個別の事案における労働者の行動が問題となる場合は、その内容・程度とそれに対する指導の態様等の相対的な関係が重要な要素となる」と指摘する。
  • しかし、労働者の行動に問題があったからといって、暴行や人格を否定する言葉を伴うなど「業務上必要かつ相当な範囲を超えた」指導が許容されるわけではない。
  • あたかも労働者の行動の問題性が高ければ、指導・叱責がパワハラに該当しなくなるかのような誤解を与える指針の表現は、誤りであり、削除すべきである。むしろ、労働者に問題行動があったとしても、業務上必要かつ相当な範囲を超えた指導等はパワハラに該当することを指針に明記すべきである。
 <「該当しない例」が極めて不適当である>
  • 指針案では、6つの行為類型ごとにパワハラに該当しない例が記載されているが、いずれも「使用者の弁解カタログ」とも言うべき不適当な例示である。
  • 多くの裁判例でも指摘されているとおり、本人の仕事ぶりに問題があり、その指導目的でなされた叱責であっても、社会通念上の相当性を欠く場合にはハラスメントになるのであるから、労働者に帰責性がある場合にはハラスメントにならないかのような誤解を与える例示を行うべきではない。
  • また、過小な要求に該当しない一例として、「経営上の理由により、一時的に、能力に見合わない簡易な業務に就かせること」が挙げられているが、これまで違法な降格・配転事件、追い出し部屋事件等の多くの事件で、使用者は「経営上の理由」から「一時的」な解雇回避措置でありやむを得ない措置だとの弁解の主張を行っていた。この例示は、それら使用者の弁解を正当化することになりかねない。
 

所見

筆者は職場におけるパワーハラスメントをきちんと定義し、該当事例を明らかにしていくことは必要と考えます。
近時は、企業側がパワハラに過敏に反応し、特にマネージャークラスの業務運営が難しくなってきていると思われます。今は「個人の主観で何でもパワハラになり得る」のです。
そのため、パワハラに該当するか否かについての客観的基準を示していくこと自体は非常に重要です。
一方で、パワハラの基準を策定し、パワハラを企業に防止させていくはずの厚労省の動きが、むしろ企業側に立っているに見えている可能性があるのも大事なポイントです。
企業側にはパワハラの定義、基準、具体例を明確にして欲しいという強いニーズがあることは間違いありません。しかし、厚労省が基準を明確にすればするほど、総合的判断として救われる労働者が減少していく可能性もあります。労働組合側の弁護団が主張していることも一理あるのです。
パワハラは、個人としての生活、人生を破壊する可能性があります。そしてこれは人権の問題であり、個人の尊厳の問題です。
パワハラという問題に日本社会としてどのように対処していくのかについては、筆者はある程度「個人寄り」の考え、方策でも良いように考えています。
パワハラでダメージを受けた場合、個人は本当に大損害を受けますが、会社はそこまでのダメージとなることはありません。損失・損害が非対称なのです。もちろん、加害者側としてダメージを受ける人もいますが、ダメージは被害者側に偏っているものと思います。
まずは、個人を救うことを重視して、本件は政策・法律を組み立てていくべきなのではないでしょうか。