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転勤は拒否できないのか?~カネカの事案にみる~

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化学メーカーのカネカが育児休業明けの従業員に転勤を命じ、従業員が退職にまで至った事象が話題となっています。

本件はパタニティ・ハラスメント(略してパタハラ)という「男性の育児休業取得等に対し、職場で嫌がらせを受けること」に該当するとして、カネカは大きな批判を浴びています。

そもそも、転居を伴う異動(転勤)を会社が強制することは問題ではないのでしょうか?

今回は「転勤」について確認していきます。

 

報道内容

まず、カネカの事案について概要を確認しておきましょう。以下、TV東京の記事を引用します。

2019.06.06 17:00
カネカ ネットで話題の育休騒動「問題なし」

化学メーカー大手のカネカは、育児休業明けの元従業員に転勤を命じたとしてネット上で話題になっている問題について、「当社の対応に問題はない」とするコメントをホームページのトップ画面に掲載しました。
この問題は先月、元従業員が育児休暇からの復帰直後に転勤を内示され、これを不服として退職したというものです。
元従業員の妻がSNSでカネカの対応を批判し、これがネット上で拡散されて話題となっていました。
これについてカネカは「転勤の内示は育児休暇の取得に対する見せしめではない。育休をとった社員だけを特別扱いできず、転勤の内示も問題とは認識していない」とコメントしています。

(出所:テレビ東京News)

この報道を目にされた方も多いでしょう。

会社に命じられて単身赴任になった方、親がいない地域に住むことになった方、地元の友達と離れ離れになった方、 家を買った瞬間に住むこともなく転勤となった方など、転勤によって不利益を受けた方は多数存在します。

確かに全国展開している会社等は、従業員を転勤させなければ業務が継続できません。しかし、会社はどんな場合でも従業員に転勤を命ずることができるのでしょうか。

 

転勤命令権とは

転勤(配転)命令権という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

転勤命令権とは、使用者(会社)は「個別的同意なしに」「業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定」し、「これに転勤を命じて労務の提供を求める権限」があるので転勤を命ずることができる、というものです。

転勤命令権の行使が「正当な人事権の行使」であるためには、労働契約上、会社の転勤命令権が認められていなければなりません。

多くの会社が就業規則で「業務上必要がある場合に、労働者に対して就業する場所および従事する業務の変更を命ずること」があり、「労働者は正当な理由なくこれを拒むことはできない」と定めています。同じように雇用契約や労働協約で定めている場合もあるでしょう。

労働基準法には転勤命令およびその有効・無効についての直接的な条項はありませんので労働契約が重要になります。

 

転勤命令権の濫用

では、会社は全くの制限なしに従業員を転勤させることができるのでしょうか。従業員は転勤命令を拒否した場合は、必ず負けるのでしょうか。

東亜ペイント事件(最判昭和61.7.14)という有名な裁判例があります。

事案の概要は以下となります。

(1) 頻繁に転勤を伴うY社の営業担当者に新規大卒で採用され、約8年間、大阪近辺で勤務していたXが、神戸営業所から広島営業所への転勤の内示を家庭の事情を理由に拒否し、続いて名古屋営業所への転勤の内示にも応じなかったことから、Y社は就業規則所定の懲戒事由に該当するとしてXを懲戒解雇したところ、Xは転勤命令と懲戒解雇の無効を主張して提訴したもの。
(2) 最高裁は、転勤命令は権利の濫用であり、Y社が行った転勤命令と、それに従わなかったことによる懲戒解雇は無効であるとした大阪地裁・高裁の判決を破棄し、差し戻した。

(出所:厚生労働省HP)

この東亜ペイント事件では転勤命令権の行使が濫用と判断される基準が示されています。

  • 業務上の必要性が存在しない場合
  • 他の不当な動機、目的をもってなされた場合
  • 労働者に対して通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合

但し、この基準は簡単には認められません。会社に明らかに対象の従業員を退職に追い込む悪意がある等の事情が認められなければ、濫用とされるのは難しいでしょう。

例えば、業務上の必要というのも「その異動が余人をもっては容易に替え難いといった高度の必要性に限定することなく、企業の合理的運営に寄与する点が認められる場合を含む。」と判断されています。

通常の会社運営の範囲内ならば濫用とは判断されないのです。

そして他の裁判例もみていくと、家族との別居を余儀なくされる一般的な単身赴任による場合等は、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益とはいえないとされています。

但し、2002年施行の改正育児介護休業法で、企業は「就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない」と規定されました。具体的な配慮の内容としては、企業は家族の状況を把握し、本人の意向もヒアリングすること、それでも転勤をする場合は子育てや介護のための代替手段があるか確認を行うことが必要です。

<ご参考>

【帝国臓器製薬事件(最判平11.9.17)】

製薬会社に勤務するXが、東京営業所から名古屋営業所に転勤を命じられ、妻及び三人の子供と別居せざるを得なくなったことを違法であるとして、転勤命令の無効確認と、単身赴任を強いられたことによる損害賠償を求めたケースで、右転勤命令は業務上の必要性に基づくものであり、それによる不利益は社会通念上甘受すべき程度を著しく超えるとはいえず、権利の濫用に当たらないとして棄却した原審判断が正当として維持された事件です。

【ケンウッド事件(最判平12.1.28 )】

長男を保育園に預けている女性従業員に対する目黒区所在の事業場から八王子市所在の事業場への異動命令が権利の濫用に当たらないとされた事件です。

 

転勤に関する法律等

ここで参考までに転勤に関する法律等を確認しておきましょう。

●労働契約法(抄)

(労働契約の原則)

第三条 3 労働契約は、労働者及び使用者が仕事と生活の調和にも配慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする。

●育児休業、介護休業等育児⼜は家族介護を⾏う労働者の福祉に関する法律

(労働者の配置に関する配慮)

第二十六条 事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない。

●⼦の養育⼜は家族介護を⾏い、⼜は⾏うこととなる労働者の職業⽣活と家庭⽣活との両⽴が図られるようにするために事業主が講ずべき措置に関する指針

(平成 21 年厚生労働省告示第 509 号)

第2 事業主が講ずべき措置の適切かつ有効な実施を図るための指針となるべき事項

15  法第 26 条の規定により、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮するに当たっての事項

配慮することの内容としては、例えば、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況を把握すること、労働者本人の意向をしんしゃくすること、配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをした場合の子の養育又は家族の介護の代替手段の有無の確認を行うこと等があること。

 

所見

現在の日本においては、転勤が転勤命令権の濫用であると認められる事例は少ないのが現実です。

今回のカネカの事案が転勤命令権の濫用に該当するかは事象を全て把握できていないため筆者には分かりません。しかし、報道されていることやカネカの発表コメントが事実だとすれば、転勤命令権の濫用と判断される可能性は少ないと思います。

確かに転勤命令権の濫用が広範囲に認定されてしまうと企業はその事業運営を著しく困難にしてしまい、結果として雇用が失われることになり、従業員側にとっても不幸なことが起きることになります。

しかし、これだけ共働きが一般的となり、少子化が問題となっている現代において、単身赴任となってしまうような転勤を強いる企業は従業員から選ばれるのでしょうか。

少子高齢化は、労働力の不足をもたらします。労働力がひっ迫した段階では、転職が容易となっていく可能性が高く、転勤を強いる企業は従業員から敬遠される可能性があるのではないでしょうか。

カネカの事案を見れば分かるように、カネカは就活生からは敬遠されることになるでしょう。実際に、カネカは学生向けのインターンシップイベントの参加を急遽見送ったと報道されています。

従業員一人ひとりに家族があり、人生があります。従業員は企業の所有物ではありませんし、モノでもありません。従業員には感情があるのです。

この転勤の問題は、日本における長時間労働や業務に制限がない総合職という働き方という問題と根本は同じです。

「従業員を人として尊重すること」こそが日本の企業に求められていることだということを、今回のカネカの事案は示しているのではないでしょうか。