銀行員のための教科書

これからの時代に必要な金融知識と考え方を。

歴史的な円安に対し投機を批判するのは本質ではない

円安が進んでいます。

ドル円で150円になると2022年の始めに予想した人がどれだけ存在したでしょうか。

円安が進む中で、「投機」という用語を近時は毎日のように聞くようになりました。

以下は報道された要人の発言です。

  • 2022年9月22日、岸田首相:「為替相場は市場で決定するのが原則だが、投機による過度な変動が繰り返されることは見逃すことができない」
  • 2022年9月22日、鈴木財務相:「投機による過度な変動は決して見過すことはできないことから為替介入を実施した」
  • 2022年10月20日、鈴木財務相:「投機による過度な変動は絶対に容認することはできない」
  • 2022年10月22日、岸田首相:「投機による過度な変動は容認できない」
  • 2022年10月24日、松野官房長官:「投機による過度な変動は容認できない」
  • 2022年10月24日、鈴木財務相:「今、私どもは市場を通じて投機筋と厳しく対峙している。投機によって過度に変動することは断じて容認できない」

「投機による過度な変動」という言葉が使われています。

「投機」という手段によって、「過度な変動」が起こることを政府は許せないのでしょう。

投機とは何でしょうか。投機は本当に悪いことなのでしょうか。

今回は、要人が連呼している投機について少し考えてみたいと思います。

 

投機とは

「投機」とは一般的にどのような意味なのでしょうか。

投機については、以下のように説明されています。

  • 短期的なキャピタルゲインの取得を目的とした投資。思惑に基づいた売買なども含む。ただしこの概念はあくまでも抽象的なものであり、実際には、「投資」との区別を、明確にすることができないことが多い。(出所 野村證券Webサイト)
  • 広義では相場の変動を利用して、その値ざやが生み出す利益を得ることを主たる目的として行なわれる売買取引のこと。一般的に、投機は短期間の売買、投資は長期保有の意図で行なわれるというが、明確な区分けはない。(出所 東海東京証券Webサイト)

この定義を見る限り、投機は短期的にキャピタルゲイン(売買での利益)を狙う取引のことを指していると考えて間違いないでしょう。

FX(為替)や株取引のデイトレードが一番分かりやすいイメージでしょう。もちろん、不動産の売買であっても投機と呼ばれる取引はあるものと思います。

投機はギャンブルと表現されることもあります。ギャンブルとは「金銭や品物を賭けて勝負を争う遊戯」(出所 Wikipedia)とされており、賭けたお金をすべて失うリスクを覚悟しながら、確率(運)を信じて一獲千金を狙うというものです。

筆者は、投機は完全にギャンブルと同じだとは考えていませんが、これは個々人の考え方・受け取り方によるかもしれません。

あくまで私見ですが、投機は短期的に利益を狙う取引ですが、元本を全て失うリスクを孕んだ取引はほとんどありません。一方で、ギャンブルは賭けたお金(元本)を全て失うリスクを孕んでいる取引の方が多いでしょう。その点では、投機とギャンブルは異なると考えています。

そして、投機と投資の境界線は曖昧です。長期投資を前提に株式に投資しても、何らかのイベント等によって1週間で高騰した場合には売却して利益を確定する、というような「投資」行動はあり得ることです。投機は、投資よりも「リスクを取って」高いリターンを目指すイメージはありますが、これも明確な線引きはないでしょう。

但し、投機は資産価格の変動から利益を得ることが目的であり、「投機家」は投機の対象とする資産の価値が増えるかどうかは基本的には考慮しませんが、「投資家」は投資の対象とする資産の価値が増えるかを考慮しているとの違いは一般的にあります。

いずれにしろ、投機とは短期的に利益を狙う取引であり、日本政府はこの投機によって、日本円が他通貨に対して急激に売り込まれることを容認出来ないとしているのです。

 

投機の何が悪いのか

投機は悪いものというイメージが世の中には存在します。投機≒ギャンブルと言われているのはその端的な例でしょう。

但し、筆者は、ギャンブルであっても悪いことだとは考えていません。ギャンブルは、勝つ確率が極めて低いゲームであると認識しているだけであり、「損したければ、やれば良い」としか思いません。長期的に見れば、ギャンブルは胴元(運営者)が儲かるだけです。勝ち続けることが出来る人はほぼ存在しませんし、自分がその一人になることが出来るとは思わない方が良いでしょう。JRA(日本中央競馬会)やパチンコ店の建物が立派だったり、たくさんあるのは儲かっているからです。ラスベガスやマカオのカジノを見れば、更にイメージが明確になるでしょう。

そして、筆者は投機についても同様に悪いとは考えていません。

今回、日本政府が批判している投機は、日本円を他通貨に対して売る行為です。日本円の下落によって利益を上げることが出来るのです。政治家から見れば、日本円の価値を下落させた投機家は許せないと考えるのも理解は出来ます。日本円の価値が下落したことで、日本にとって必要不可欠な石油やガスを輸入する費用が上昇し、日本の貿易赤字幅が拡大しています。国富が海外に流出すると表現して危機感を持つ識者もいます。政治家や大多数の日本人にとって円安は不都合なのです。しかし、その裏には日本円の下落で儲けている人もいるということになります。例えば、円安によって、海外の旅行者から見た場合には、ホテルや飲食店が今まで以上に安く見えます。そのような事業を運営している人達からすれば円安は追い風です。

円高・円安には利益を得る人もいれば、損失を被る人もいるということなのです。中長期で見れば、日本人が使っている日本円が下落していくことは、国民の資産が安くなることですので望ましくはありません。しかし、政府が円安を生かして製造業を強化しようとするように、円安で利益を得る勢力は存在するのです。

今回、日本政府は投機による過度な変動を容認出来ないと発信していますが、要は日本全体で見れば都合が悪くなってきたから、言葉を換えれば日本政府の支持率にとって都合の悪いので、円安を狙う投機家が許せないと言っているようなものでしょう。

筆者の考えですが、投機は為政者にとって都合の悪い結果をもたらすことはあり、スケープゴートにされやすいものです。

しかし、投機がなされる裏側には、円が売られやすい要因があるのです。現在で言えば、金融政策の違いです。日本は過去のバラマキにより財政状況が悪く、日本国の借金が多すぎるために、政治的にも財政的にも金利を上げられないとマーケットから見透かされています。狙われる理由があるということです。

 

投機はマーケットに必要

筆者は、投機はマーケットに必要と考えています。

今回、政府は為替のマーケットにおける投機について批判していますが、株式マーケットでも同様の批判がなされることがあります。

しかし、為替だろうと株式だろうと、投機はマーケット参加者と取引を増やし、マーケットに厚みを与え、売買価格を適正にする役割があります。

これは簡単なことで、連日のように日本円が安くなったと報道されていますが、日本円は投機家だろうと誰かと誰かの売買が成立しているからこそ、値段がつけられるのです。すなわち、日本円を手放したい人(安くなると予想している人を含む)だけでは売買は成立せず、日本円を手に入れたい人(高くなると予想している人を含む)が存在するからこそ、我々は日本円が現時点でドルに対して何円であるかが分かるのです。日本円を買っているのは、日本政府だけではなく、円が反転する(円高方向に行く)と予想する投機家も当然ながら含まれています。(投機家は売りも買いも存在しています)

投機家であろうとも、取引に参加する事でマーケットや経済に貢献しているのです。マーケットは、流動性が必要であり、マーケットが健全に機能する為には多くの参加者が必要なのです。投機家も含めて参加者に厚みが無ければ、マーケットでは売買の成立に支障をきたしたり、価格が歪められたりすることがあるでしょう。買いたい時に買える、売りたい時に売れる、というマーケットでなければおカネは集まってこないのです。

このような観点では、日本政府は、投機による「過度な変動」を批判しています。投機そのものを批判していないようにも受け取れることは、政府の知恵を示しているのかもしれません。

但し、繰り返しになりますが、投機を批判することは、人類が作り上げてきた金融マーケットの重要な機能を否定することになります。投機は必要な機能を提供しているのです。

本来、政府がなすべきは、金利を引き上げられる環境作りであるはずです。国の産業の競争力を引き上げる、GDPを増大させる、エネルギー政策を確りと立案・遂行する、その中で財政再建に道筋をつける等が本当に必要なことであり、投機家に対して牽制することは本質ではありません。政府には本質的な行動を求めたいと思います。