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長寿リスク移転(LRT)は次の新しい投資対象になり得る

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人口の高齢化現象は、多くの国において、社会政策や規制・監督上の重要な課題をもたらしています。

高齢化現象は、単に人々が長生きをするということを意味するだけではなく、高齢化による長寿リスク(longevity risk:想定以上の長期にわたる年金支払いが発生するリスク)の高まりが、退職に備える貯蓄性商品の持続可能性にかかわる懸念を増幅しています。

そして、長寿リスクを管理するために、いくつかの国の年金基金は、自分達が所有する長寿リスクの移転先を探しはじめています。

今回の記事では、この長寿リスクの移転ニーズが、新たな運用商品を生み出す可能性について考察します。

長寿リスクおよびその報告書

ジョイントフォーラム(※)は、長寿リスク移転(Longevity Risk Transfer、以下LRT)市場について、市場規模及び構造、並びにその成長と発展に影響を及ぼす要因に関する調査結果と政策提言をまとめた報告書「Longevity risk transfer markets:market structure, growth drivers and impediments, and potential risks」を2013年に発表しています。

※ジョイント·フォーラム(The Joint Forum)は、金融コングロマリットの規制をはじめ、銀行、証券、保険の各分野に共通な諸問題に対処することを目的に、1966年にバーゼル銀行監督委員会(BCBS)、証券監督者国際機構(IOSCO)及び保険監督者国際機構(IAIS)の後援により設立されたものです。メンバーは、各分野の主要な代表者で構成されています。

長寿リスクとは、長寿リスク保有者である年金基金等の加入者が想定よりも長生きした場合、給付債務が想定より増加するリスクのことです。

長寿リスクを移転するために利用される取引形態には、大別すれば、移転されるリスクのタイプおよび発生するリスクのタイプによって、年金バイアウト(buy-out)、年金バイイン(buy-in)および長寿スワップ(longevity swap)という三つの異なるタイプがあります。

(この三つの手法については以下の記事をご参照ください)

 

但し、こうしたLRT市場は、アナリスト、学者、監督当局にとって、どちらかといえば、未知の分野にとどまっているのが現状です。

ジョイントフォーラムが2013年12月に公表した上記報告書「 (邦訳)長寿リスク移転市場:市場構造、成長の推進力·障害及び潜在的リスク」では、未知の分野にとどまっている長寿リスク移転市場について、その規模および構造、成長と発展に影響を及ぽす要因についての最初で予備的な分析を提供し、市場参加者、政策立案当局および監督当局に対して、LRTにかかわるリスクおよび分野横断的な問題への関心を促す目的で作成されています。

ジョイントフォーラム報告書の概要

以下では、まずジョイントフォーラムの報告書についての概要を記載します。

ここでは以下のリンク先報告書を基に記述しています。

出典 日興ファイナンシャル·インテリジェンス作成レポート
https://www.nikko-research.co.jp/library/386/

 

出典 公益財団法人日本証券経済研究所 報告書

http://www.jsri.or.jp/pub ish/topics/pdf/1403_01.pdf

<主な調査結果の内容>
同報告書では、年金関連の長寿リスクエクスポージャーは全世界で総計15~25兆ドルあると推計され、平均余命が1年延びると4,500億~1兆ドルの追加負担が必要となると述べています。

従って、長寿リスクは各国の年金システムを維持するうえで、適切に監視·コントロールすべき重大なリスクとなってきているとしています。

LRT市場は、市場の将来性から考えると、現時点では規模が小さいのが現状です。

これまでLRT取引のほとんどが英国で行われてきましたが、確定給付年金債務のうち、リスクヘッジされたのはわずか500億ポンドとされています(なお、当時の英国における確定給付年金の負債総額は1兆ポンドと推計)。

LRT市場の規模が小さい理由として、(再)保険会社と比較して年金基金等では長寿リスクの規制上の取り扱いが緩やかであることが挙げられます。

すなわち、年金基金は、保険会社のように厳しく支払のための資本を蓄積しておかなくても良いということです。

また、選択バイアスリスク(※) 、指数ベース取引における価格の乖離の存在が考えられます。そのほかの障害としては、寿命の延びを推測できる正確かつ十分なデータが揃っていないこともあるでしょう。

※長寿リスクを緩和しようとする年金基金や(再)保険会社は、自身が抱えている人口集団の健康状態を深く理解していることによって、長寿リスクの売り手と買い手の間で情報の非対称性が存在するリスクをいいます。

LRT市場を拡大しようとする方法が、長寿リスクの売り手を相当程度の新しいリスクにさらす可能性があるのです。

例えば、選択バイアスリスクを減らすために、LRT取引は、再保険会社等の経験的生存率ではなく、人口指数に基づくものとなるかもしれません。このことは、資本市場参加者にとってLRT取引を魅力的なものとする一方で、再保険会社等に価格の乖離リスクが残ることを意味します。

潜在的な市場規模の大きさを考えると、将来的には、LRT市場がシステミックリスクを引き起こすことも予想されます。つまり、信用リスク移転市場と同様、LRTもそのほとんどを一部の投資家が保有することになるという形でのリスクの蓄積を引き起こす恐れがあるということです。

いわゆるリーマンショックの時のようなことが起こりえるということになります。

LRT市場の魅力

LRT取引は近年になるまでは実質的に英国で行われてきました。

その背景として、英国では確定給付型の年金がそのほとんどを占め、年金負債の開示についても透明性が高かったこと等が挙げられます。

英国におけるDB年金の負債総額は1兆ポンド(2013年の上記報告書時点)に達しますが、LRT市場がスタートした2004年から2012年にかけて行われたリスク移転取引は合せて500億ポンドに留まっています。

これは、負債総額の5%しかリスク移転がなされていないことを示します。

すなわち、市場規模の拡大の余地が大いにあることになります。

そして、LRT取引は、「年金加入者の長寿リスクを取引」するものです。

このリスクは、ファンド等の資産運用者(投資家)が通常保有するマーケットリスク(株式、金利、為替) とは相関が非常に低いことになります。

この特徴は、地震等の災害に関する保険(CATボンド等) と同様です。

すなわち、このLRT取引は純然たるオルタナティブ投資ということができるのです。

長寿リスクの所有者である年金基金等は、長寿リスクが顕在化すれば、スポンサー企業(母体企業)の費用負担を招き、スポンサーの競争力·成長力を弱体化させかねないと理解しています。

そのため、長寿リスクを切り離したいというインセンティブが働くことになります。

一方で上述の通り、投資家からすれば、長寿リスクと自分達が保有する他のリスクとの相関が低いことは非常な魅力です。

現在の長寿リスクに対する投資家は、ほとんどが生命保険会社(再保険会社含む)です。

これは、長寿リスクが生命保険会社が持つ保険リスクをある程度相殺することになるためです。

例を挙げると、いわゆる死亡保険は保険者の短期死亡リスクを保険会社が負うものです(若年で保険者が死亡すると、払い込まれた保険金以上に保険会社が支払を行うため)。

逆に、長寿リスクは、保険者が長生きすればするほど、保険会社が支払う費用が増加します。

この二つのリスクはお互いを相殺しあうことがお分かりになるでしょう。

従って、保険会社は長寿リスクへ投資することに魅力があるのです。

LRT市場の拡大を阻害する要因

上述の通り、LRT取引は、今後規模が拡大することが見込まれ、生命保険会社を中心とした投資家にとっても魅力的なものとなっています。

しかし一方で、2011年に行われた欧州保険·職域年金委員会の調査では、欧州の保険会社·再保険会社が抱えている長寿リスクは、既にその会社が抱えている死亡リスクの5倍に達しているとされています。

従って、今後増加するとみられる長寿リスクの「売りニーズ」に対応するためには、もっと広い範囲の投資家が必要になります。

この広い範囲の投資家がLRT市場に参入するのを妨げる要因として考えられるのは、選択バイアス·リスクです。

これは、売り手である年金基金が加入者の健康状況を熟知していることによってもたらされます。

外部の投資家は、加入者の健康状況を把握していないのです。こうした非対称情報の存在は、長寿の母集団を持つ年金基金ほど長寿リスクの移転を志向するという選択バイアス·リスクに対する懸念を投資家にもたらします。

この年金基金は、長寿リスクが高いから、LRT取引をしたいのだと投資家は思うわけです。
選択バイアス·リスクを減らすための方法の一つは、LRT価格に加入者の健康状態を反映した取引とすることです。

しかし、他の透明度の高い方法として、LRTを、例えば政府の統計局によってトレースされている生存率のようなサンプル集団の生存率にもとづいて行うこともありえます。

こうした標準化された集団に準拠する取引は、市場の流動性を高める可能性があります。

しかしながら、標準化された集団に準拠する取引は、場合によっては、長寿リスクの売り手に、受け入れ難いレベルのリスクをもたらしかねません。

これは、性別、勤労年数、所得、居住場所によって(例えば65歳時の平均余命)にかなり大きな違いが見られるためです。

上述のジョイントフォーラムの報告書によれば、英国南東部に住んでいる高所得の女性について見れば、65歳時の平均余命は22年ですが、英国北部に住む低所得の男性のそれは13年以下にすぎないとされています。

LRT市場拡大には、情報の非対称性という問題、選択バイアスという問題、そして長寿リスクをどこ(指数)に準拠させるかという問題が横たわっているということなのです。

LRTのリスク

LRT取引の主要なリスクは、長寿リスクの購入先である投資家(カウンターパーティー)の倒産リスクです。

年金バイアウトの手法では、カウンターパーティーリスクは年金基金にとっては存在しませんが、年金バイイン・長寿スワップではこのリスクが発生します。

また、リーマンショックの時に規制当局等が理解したように、リスク移転市場においては、リスクの移転が予測しない結果をもたらすかもしれません。

信用リスク移転市場においては、リーマンショック時に、複雑な商品の蔓延が集中的なレバレッジ·ポジションの積み上げをもたらし、しかも、そうしたポジションの大部分が、当該商品のハイ·リスク特性を完全に理解することが出来ない投資家によって保有されていたという事例が発生しました。

さらに、リーマンショック前には、ある種の信用リスク移転(とりわけ、投資家の選好に合わせてカスタマイズされたもの)は、何が移転されるのか、誰に移転されるのかということに関して透明性がありませんでした。そのため、市場は、疑心暗鬼となり、流動的がない状況に陥り、投資商品の評価が困難となってしまいました。

このようなことは、LRT市場でも同様のことが起こりえます。

LRTを理解できる(もしくは理解していると考えている)一部の投資家にリスクが結果として集中する可能性があるということです。

これは将来的に、監督する当局が関心を示すことになるでしょう。

LRT市場の今後

以上のような問題をはらみながらもLRT市場は拡大していく可能性が高いと筆者は考えます。

長寿リスクを切り離したい年金基金が存在し、低金利環境下においてオルタナ投資を増やしたい投資家が存在している以上、取引自体は拡大していくでしょう。

また、LRTの潜在的市場規模は凄まじい大きさです。

このLRT取引は、今後の資産運用における一つの投資対象となる可能性があります。

銀行員や投資家にとっても認識しておくべき領域といえます。