銀行員のための教科書

これからの時代に必要な金融知識と考え方を。

銀行の人材紹介業は、取引先への銀行員押し付けを狙っている訳ではない

 

f:id:naoto0211:20201009203515j:plain

2018年1月に金融庁の監督指針が改正となり、地方金融機関は業務の一環として職業紹介事業、すなわち人材紹介業を行うことができるようになりました。

この人材紹介業の解禁は、特に地方において人手不足が深刻になる中で、銀行の取引先企業が必要とする人材の確保や雇用問題の解決を手助けし、地域経済の活性化に貢献できるようにする狙いがありました。もちろん、低迷する地銀の収益力向上につなげる狙いもあったことは間違いありません。

但し、人材紹介というと「銀行のOBを取引先企業に押し込むことを狙っているのではないか」との疑念が浮かぶのではないでしょうか。銀行員は50歳代前半で取引先に出向・転籍することが多く、銀行の今の経営環境を考えると銀行はリストラの一環として、取引先に押し付けたいのではないでしょうか。

今回は銀行の人材紹介業(職業紹介事業)について簡単に考察してみます。

 

金融庁の監督指針

銀行業は規制業種です。監督官庁に認められた業務範囲しか業務を営むことはできません。 

人材紹介業は2018年に金融庁の監督指針で参入が明確に認められました。尚、銀行の人材紹介業についての報道は地方銀行が中心となっていますが、監督指針では、主要行も認められています。

 

<金融庁監督指針>

  • 主要行等向けの総合的な監督指針 令和2年7月 V -3-2 「その他の付随業務」等の取扱い
  • 中小・地域金融機関向けの総合的な監督指針 令和2年6月 III -4-2 「その他の付随業務」等の取扱い
  • 上記2指針にかかる銀行の人材紹介業の文言は同一(以下記載)
  • 銀行が法第10条第2項の業務(同項各号に掲げる業務を除く。以下「その他の付随業務」という。)等を行う際には、以下の観点から十分な対応を検証し、態勢整備を図っているか。
  • (1)銀行が、取引先企業に対して行うコンサルティング業務、ビジネスマッチング業務、人材紹介業務、M&Aに関する業務、事務受託業務については、取引先企業に対する経営相談・支援機能の強化の観点から、固有業務と切り離してこれらの業務を行う場合も「その他の付随業務」に該当する。(中略)
  • (注3)人材紹介業務については、職業安定法に基づく許可が必要であることに留意すること。また、その実施に当たっては、取引上の優越的地位を不当に利用することがないよう留意すること。

 

この監督指針で述べられていることは、銀行の人材紹介業務は「その他の付随業務」に該当するということであり、銀行の他業禁止には当たらないということです。

但し、その実施にあたっては「取引上の優越的地位を不当に利用することがない」ように求められています。

人材紹介業務において、最も分かりやすいのは、債権者としての地位を活かして「銀行から出向者を受け入れて欲しい」との押し込みでしょう。人材を受け入れなければ、融資を行わないぞ、というような脅しがセットになっていると、完全にアウトです。

 

地銀の人材紹介業は本当に銀行員を押し付けたいのか

マスコミ等では、地銀が人材紹介業に参入する理由について、自行のベテラン行員を取引先に押し付けたいのだろうという論調が一時期多かったように思います。

確かに銀行員の年齢構成は歪になっているところが多いでしょう。いわゆるバブルの大量採用世代問題です。その大量採用世代が50歳を超えてきており、銀行の外に出る年代になっています。そのため、このバブル世代の処遇のために人材紹介業を銀行が行い、取引先に人材紹介という形で引き取ってもらい、そして、その紹介料を収受することを狙っているというストーリは分かりやすいとは思います。

しかし、本当にそうでしょうか。

人材紹介業を自らが担っていなくても、銀行員を取引先に出向・転籍させる人事戦略を銀行は長らく続けてきました。人材紹介業を行えば、更に手数料が上乗せとして入ってくることにはなるでしょうが、それだけで銀行が人材紹介業を行いたいと考えるでしょうか。

 

人材紹介業参入の目的

銀行、特に地方銀行が人材紹介業に参入する目的は、間違いなく「地元取引先の存続」を支援するためです。

日本は都市化が進み、かつ東京への集中が続いています。少子高齢化、人口減少社会においても、東京は相対的に人口を維持する一方で、働き手を失う地方企業は立ち行かなくなる懸念があります。地方銀行にとっては取引先という「融資先」が無くなるかもしれないのです。
取引先が人材を確保し、それによって取引先が存続することで、銀行の融資を継続的に続けることができます。今でも本業の預貸業務は収益が苦しいのに、取引先が次々と人手不足で消えていくようなことがあれば、本当に地方銀行の役割は無くなってしまいます。よって、取引先の存続を人的面から支援することは、地方銀行が人材紹介に挑戦する価値があるのです。

自行の銀行員を取引先に押し付けたいという考えは、全くない訳ではないでしょうが、そこまで重要視されていることはないでしょう。

 

人材紹介業の収益性

2020年春に、銀行の人材マッチングの成約1件につき、指定の条件を満たせば上限100万円を支給する補助金が導入されました。このような制度が導入されるということは、銀行の人材紹介業がまだまだ儲かっていない、もしくは魅力的ではないということなのでしょう。

当初は筆者も銀行の人材紹介業は、銀行にとってあまり意味のあるものにはならないと考えていました。地方銀行が本当に必要なのは、不動産の仲介業務と不動産賃貸業の解禁だと考えているためです。

しかし、人材紹介業界に携わったことのある方とお会いし、考え方が変わりました。

人材紹介業は決して低収益な事業ではありません。

多くの人材紹介会社が採用している届出制手数料では、採用決定者の初年度の理論年収の35%程度が紹介手数料率となっています。

例えば、500万円の年収の人材の採用が決定すれば、500万円×35%=175万円が手数料として支払われるのです。

人材紹介業は、参入障壁が低く、銀行も初期投資があまりかかりません。

銀行の本業は収益性が著しく低下しています。

銀行は、預金者から預かった資金を貸出だけでは運用出来ず、有価証券等でも運用しています。預金者から預かった資金に社債等の借入金も加えて資金調達コストと、貸出および有価証券運用等での資金運用利回りの差が、銀行の本業における収益力です。

以下の通り、この銀行の本業における収益力が、都市銀行だと0.01%しかありません。第一地方銀行(規模の大きな地銀のイメージ)でも0.19%、第二地方銀行(規模の小さい地銀のイメージ)で0.12%です。

例えば、2億円の預金を預かったとしても、都市銀行だと2万円、第一地方銀行だと38万円、第二地方銀行だと24万円しか儲かっていないことになります。

<都市銀行>

  • 貸出金利回り 0.84% 
  • 資金運用利回り(有価証券投資等含む) 0.58%
  • 資金調達原価(預金利息のみならず人件費等含む) 0.57%
  • 総資金利鞘 0.01%

<第一地方銀行>

  • 貸出金利回り 1.01% 
  • 資金運用利回り(有価証券投資等含む) 0.94%
  • 資金調達原価(預金利息のみならず人件費等含む) 0.75%
  • 総資金利鞘 0.19%

<第二地方銀行>

  • 貸出金利回り 1.08% 
  • 資金運用利回り(有価証券投資等含む) 1.06%
  • 資金調達原価(預金利息のみならず人件費等含む) 0.94%
  • 総資金利鞘 0.12%

一方で、人材派遣業は、上述の通り、500万円の年収の人材の採用が決定すれば、500万円×35%=175万円が手数料として支払われるのです。

175万円といえば、都市銀行だと175億円(=175万円÷0.01%)の集めた資金に対応する収益であり、第一地方銀行だと9億円(=175万円÷0.19%)、第二地方銀行だと15億円(=175万円÷0.12%)の調達資金に対応する収益です。

貸出や有価証券投資では、投融資先が倒産するリスク等があります。確実に儲かる事業ではないのです。

一方で、人材紹介業は、リスクはほとんどなく(紹介先の企業が手数料を払うまでに倒産しなければ)収益が得られます。

すなわち、人材紹介業とは銀行にとっては、比較的簡単に手を出せる事業であり、リスクも低い割に、本業よりも収益力が高い事業とも言えるのです。

筆者は、銀行業は、今までのように「おカネ」を融通する(=金融)という枠組みを超え、「情報を流通させる」業態に変化していくのではないかと考えています。

例えば、取引先が事業を買いたい・売りたいという情報はM&Aにつながりますし、取引先が損失補填のために本社を売りたいという情報は不動産仲介につながります。取引先が何らかの事業を拡大したい、その事業で人材を欲しているという情報は、今回の人材紹介業につながるでしょう。

銀行は、融資や預金という金融商品を提供することで、膨大な情報を集めているはずです。その情報を使って商売していくことこそ、銀行業が生き延びる道なのではないでしょうか。

その流れ・文脈の中で、人材紹介業は、まさにぴったりなのです。

 

所見

そもそも、銀行員を取引先に押し付けても、そこまでの収益にはなりません。

例えば、第一地方銀行の銀行員数は12万8,977名(2020年3月末時点)です。

この銀行員が他社へ転職する際には、平均500万円の年収だったと仮定しましょう。そして、銀行員は入行後約30年で取引先に出向・転籍することになります。

そうすると、12万8977名÷30年(1年で退職する人数を算出するため)×平均年収500万円×35%(人材紹介手数料率)=76億円となります。

すなわち、毎年、第一地方銀行の出向年次の行員「全員」を取引先に紹介して成約したとしても76億円にしかならないのです。

第一地方銀行の2020年3月期の最終利益は約6,000億円です。76億円という収益は決算に大きなインパクトをもたらしません。

もちろん、銀行員の人件費負担を転職先がしてくれるため、もっと大きなコスト削減効果はありますが、これは人材紹介業を行っていなかった時代でも享受していたものです。

人材紹介業は自行の銀行員を紹介するだけではあまりボリュームは大きくなりません。すなわち、様々な人材を紹介していかないと地方銀行の経営にとっては大きなインパクトになりません。

人材紹介業の市場規模(売上)は、3,876億円(出所 「2030年の労働市場と人材サービス産業の役割」人材サービス業産業協議会)です。

人材紹介業を銀行が独占するのであれば、業績へのインパクトはそれなりにありますが、それは現実的ではないでしょう。

銀行にとっての人材紹介業は、様々な手数料商売の中の一つという位置付けで十分です。収益性は高く、初期投資もほとんど必要が無い、但し、大きく儲かるかは分からない新規事業なのです。それでも地域商社のような、銀行が得意ではない分野の事業よりは、よほど銀行の事業と親和性があります。融資も人材紹介も、基本的には取引先の事業を理解しなければならないことに違いはありません。

取引先の様々な悩みに応えていくことが銀行が生き延びるために必要です。「おカネ」は今は価値が落ちました。むしろ「ヒト」こそ取引先にとっては価値が高いのです。この価値の高いヒトをも融通できることで銀行には新たな情報が集まるでしょう。そして、その新たな情報を基に、今までは貸すことが難しいと思っていた企業を深く理解し、実は貸し出し余力があることに気付くかもしれません。

人材紹介業は、銀行に新たな収益機会をもたらすきっかけになる可能性があるのではないでしょうか。