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自社株買い規制よりも「やるべきこと」がある

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岸田首相が衆院予算委員会で、企業の自社株買いに関連してガイドラインを作る可能性に言及しました。

野党議員は、本来は企業が投資家から資金を調達すべき株式市場が、投資家に資金を供給する場所になっているとして、自社株買い制限の検討を求めており、その質問に対する答弁として前述の発言がなされたものです。

この首相発言を受け、株式市場は下落で反応しました。

今回は、この話題となった「自社株買い」について少し考えていきたいと思います。

 

岸田首相発言

報道されている、予算委員会での首相発言は以下の通りです。

「自社株買いについてはそれぞれの企業判断に基づいて状況に応じて判断していく問題ではありますが、私自身、多様なステークホルダーを重視して持続可能な新しい資本主義を実現していくということから考えました時に、ご指摘の点は大変重要なポイントでもあると認識を致します」

「企業のさまざまな事情や判断がありますので、画一的に規制するということは少し慎重に考えなければいけないのではないか。個々の企業の事情などにも配慮したある程度の対応、例えばガイドラインとか、そういったことは考えられないだろうかということは思います」

このように首相は、少し慎重に考えなければといけないとしながらも、自社株買い規制を重要視するという趣旨の発言をしています。金融所得課税について言及した時と同じように、株式市場への影響を考えていないとみられる発言だとして、批判等を浴びています。

では、自社株買いを制限等するのは、そこまで悪いことなのでしょうか。自社株買いを制限して、従業員に給料が回るようにした方が良いという考え方は正しくないのでしょうか。

 

日本における自社株買いの歴史

自社株買いの可否について考える前に、自社株買いの「規制の歴史」について、まずは確認しておきましょう。

そもそも日本は、明治の商法制定後1990年代初頭まで、長年にわたり自社株買いを原則禁止してきました。

この理由は、主に以下4点とされています。

①会社の出資金を減らすこととなり、会社債権者を害する(資本充実・維持の原則)

②取得金額によっては、株主平等原則違反となる(特定の株主に対し、他の株主より有利な条件で出資金の回収を可能としてしまうことがある)

③反対派株主から株式を取得することで、会社の経営陣が現在の地位を維持する等の経営を歪める手段に利用させる可能性がある(会社支配の公正)

④株価操縦、インサイダー取引などの不正に利用される可能性がある(証券市場の公正)

これらの懸念点を防止する観点から、自己株式の取得は、自己株式を取得する日における会社の分配可能額の範囲内でのみ行うことが出来るという財源規制等の規制がなされてきました。

 

現在の問題点

自社株買いの原資は、会社が蓄積してきた利益なら問題はないでしょう。配当するか、自社株買いを行うか、いずれにしろ社外に資金が流出するとしても、それは会社の蓄積してきた利益だからです。

しかし、近時問題となってきているのは、赤字決算による株価への悪影響を相殺させるために自社株買いを行うケースや借金によって自社株買いを行うケースです。

米国ではボーイングの事例が有名ですが、債務超過になっても株主に配当や自社株買いを行って還元する企業が存在します。この背景には、株価上昇に連動して経営陣の報酬が上がる仕組みを取り入れていることから、株価上昇につながる利益分配に積極的に応えるという点で、株主と経営者が同じ利益を共有していることがあります。

この「過剰な株主還元」が米国でも問題視されてきているのです。

 

所見

では、自社株買いをある程度規制することは、持続可能な社会を作るという観点で意味はあるのでしょうか。自社株買いは「悪」なのでしょうか。

自社株買いを問題視する人々は、会社の内部留保を自社株の購入の原資とすることは、会社の財務的な基盤を圧迫するもので継続性に乏しく、賃上げで従業員に報いることもなく、重要なステークホルダーである従業員を軽視しているものだと考えているのでしょう。

しかし、自社株買いによって株価を相応に高めておくことは敵対的買収への防衛策にもなります。また、流通している株式を減少させることで配当金を節約することが可能となり、株主還元策として企業にとっては有効である可能性もあります。

そもそも、自社株買いを規制したとしても、従業員の賃上げにつながる確証はありません。企業によっては、借金返済を先に行いたいと考える可能性だってあります。

また、従業員という個人は、今はDC(確定拠出年金)等での株式市場への投資を以前よりは増やしてきました。自社株買いによって株価が上昇することは、株主としての従業員個人にとっても有用である可能性は高いのです。

したがって、筆者は、自社株買いの規制をすることは、株式市場へのマイナスインパクトを与えるだけに留まり、成長と分配の好循環を目指す「新しい資本主義」にはあまり貢献しないのではないかと考えています。

では、首相が目指す「賃上げの実現」には何が必要でしょうか。

これも筆者の私見でしかありませんが、解雇規制は緩めずに、「転職(転社)を容易とする仕組み」の整備こそが、賃上げの実現に最も有効なのではないかと考えています。

すなわち、退職金や企業年金を「賃金の後払いである」と明確に位置付け、定年前の自己都合での退職時にも減額を認めない(そして企業年金は他社に持ち出し可能)とすることや、退職金の退職所得控除等、勤続年数に対して中立な税制に組み替えていくことで、個人が転職(転社)する際の不利益を無くしていくことこそが、賃上げに最も重要なのではないでしょうか。

転職(転社)しても不利益が無いのであれば、従業員は高い報酬が払われる企業に今以上に移っていくでしょう。転職(転社)が容易ではないからこそ、納得のいかない仕事、低賃金で甘んじる個人が多いのではないでしょうか。一方で、企業が求めるような従業員の解雇規制緩和は認めないとなると、個人にとっては有利な環境が誕生します。

これこそが、企業に賃上げを結果として促すことになるのではないかと筆者は考えています。皆様はどのようにお考えになるでしょうか。