銀行員のための教科書

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「年功序列賃金には合理性がある」ということを知っていますか

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「年功序列賃金」と聞くと、否定的な感覚が呼び起こされる読者は多いのではないでしょうか。

マスコミ等では日本型賃金制度の問題として、年功序列賃金を取り上げることが一般的です。「働かないおじさんに、なぜあんなに給料を渡しているのか」「若手・中堅のやる気をそぐ」「年功序列賃金を採用しているから、若手に高い給料が払えない」等々の論調です。

しかし、年功序列型の賃金体系はいまだに多数の日本企業に残っています。

誰もが年功序列賃金をダメと考えているなら、なぜこのような賃金体系が残っているのでしょうか。

今回は、年功序列賃金の合理的な側面について、簡単に確認していきたいと思います。

 

人間の心理におけるクセ

年功序列賃金の「合理性」について考察していく際に、押さえておきたい人間の心理面における癖(クセ)があります。

まずは、以下の選択肢をご覧になり、自分ならどちらを選ぶかを考えてみて下さい。

<設問1>

①確実に1万円貰える

②50%の確率で2万円貰えるが、50%の確率で0円になる

この選択肢は①を選ぶ人が圧倒的に多いことが実験で示されています(日本人、外国人問わず)。しかし、両方の選択肢は、期待価値は同じです。①なら、期待される利益は「1万円×100%=1万円」ですし、②なら、「2万円×50%+0万円×50%=1万円」だからです。しかし、我々は合理的に考えるのではなく、考え方・選択の仕方に傾向(クセ)があり、我々は確実なものに価値を置く(好む)ということになります。

もう一つ選択肢を考えてみて下さい。

<設問2>

①確実に1万円失う

②50%の確率で2万円失うが、50%の確率で0円になる

この設問2では、②の選択肢を選ぶ個人が多いとされています。

設問1・設問2とも、選択結果の期待価値(利益もしくは損失)は同じです。それなのに、選択肢の回答は偏るのです。

以上の2つの設問から、我々の選択にはどのような傾向がみられるでしょうか。

前者の設問では「確実に得ることのできる利益を期待し、後者の設問では不確実性に賭けています」

すなわち、我々は心理的なクセとして損失を回避しようとします。利益と損失は同じ金額であったとしても、個人にとっては価値が異なるのです。

この我々の心理的なクセを理論としたものがプロスペクト理論であり、その価値関数は以下の図で表されます。(図は分かりやすいように筆者が作ったものですので、傾きには厳密さがありません。ご容赦下さい)

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(図は筆者作成)

この図は我々が利益と損失をどのように価値評価(喜び/悲しみ)するかというものです。縦軸は価値、横軸は損益です。

図では図の中央(原点、参照点)の左右で傾きが異なっており、損失の傾きが大きくなっています。

例えば、1万円の利益よりも1万円の損失の方が、悲しみが大きい(喜びが少ない)ということになるのです。

 

賃金制度への考え方の応用

今まで、我々は損失に対して強い悲しみを感じ、そのため損失を回避しようとする傾向があることを確認してきました。

では、この我々の心理的なクセを賃金制度に応用することは合理的なのではないでしょうか。

例えば、以下の賃金支払事例があった場合、読者の皆さんはどのように感じるでしょうか。

<設問3>

①賃金推移:1年目=300万円、2年目=400万円、3年目=500万円

②賃金推移:1年目=400万円、2年目=500万円、3年目=300万円

この設問における①は年功序列賃金と言えるでしょう。一方で、②は成果連動型賃金です。

3年間の賃金獲得額は同じです。

しかし、個人としてのモチベーションを維持できたのは①でしょう。

②は最終年度が賃金の下落を経験しており、強い「悲しみ」を感じたものと推察されます。

賃金が下がるというのは、それだけ心・感情へのインパクトが大きいのです。

このような我々の心理的なクセを前提とした賃金体系を考えていくと、賃金は毎年上げていき下げることを回避した方が、賃金の減額があり得る賃金体系よりも、全体としての個人のモチベーションを維持できる可能性が高いことになります。

但し、賃金を上げていく体系は、経営者としては賃金の引き下げが出来ないだけに、賃金の引上げ幅については慎重に検討していくことになるでしょう。そのため、賃金水準をあまり上げずに、他社に転職されないレベルで良いと考える経営者が出てきます。これが日本企業における賃金の伸び悩みの一つの要因でしょう。

 

所見

今まで見てきたように、毎年徐々に賃金を上げていく年功序列賃金は、従業員の総体的なモチベーションを保つためには、合理的な側面があります。

但し、今後、日本ではジョブ型の賃金体系が導入されたり、今よりも業績やポストに連動する賃金体系が増加するでしょう。

しかし、導入の際には、今回見てきたような「損失に強い回避傾向を示す」人間心理のクセをしっかりと認識しておかないと、過去の成果型賃金導入と同じように失敗する可能性があります。

日本の賃金制度をどのようにしていくべきかは非常に難しく、悩ましい問題です。

ジョブ型・成果型に更に移行していくとしても、転職が可能な労働市場の流動性と税制のような制度面の整備がなされない限り、問題が噴出するものと筆者は想定しています。

転職が容易な社会でなければ、賃金が減少して強い損失感を受けた個人は、やる気を失ったまま、その会社に居残り続ける可能性が高くなります。負の感情を抱えた個人は、自らの仕事のパフォーマンスを悪化させるのみならず、周囲に負の影響を及ぼすこともあります。

一方で、転職が容易な社会では、そのリカバリーとして他社に出ていくことも選択肢として取れるため、そこまで問題にはならないでしょう。嫌な会社、賃金の低い会社ならば、外に出ていけば良いからです。

年功序列賃金は、転職が難しい社会においては、従業員のモチベーションを維持させていく上で、合理的なのです。単純に年功序列賃金が悪いという論調は、日本に新たな問題を発生させる可能性があります。

日本の労働に関する問題を解決するためには、転職の容易な社会の構築こそが重要なのではないかと筆者は考えています。