銀行員のための教科書

これからの時代に必要な金融知識と考え方を。

みずほのシステム障害について思うこと

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みずほ銀行でシステム障害が相次いでいます。

今回は、みずほに起きている状況を簡単におさらいした上で、その根本的な原因の一つとされる「人事」について確認してみたいと思います。

 

みずほのシステム障害

みずほ銀行は2021年2月末から2週間で4度のシステム障害を短期間で起こしました。

その結果、原因究明、対応を行うため、決まっていた頭取交代を取り消しました。銀行の業界団体である全国銀行協会(全銀協)の会長行も内定していたものの、就任延期となりました。

また、営業店の個人・法人のお客さま別組織体制への改編も延期されました。コンサルティング業務に特化した店舗などを増やす計画だったようですが、2月末から多発したシステム障害を受け、顧客対応を優先することになります。

そして、監督官庁の金融庁は、報告命令だけではなく、結局立入検査を行うことを決めました。

みずほ銀行のシステム障害では、キャッシュカードや預金通帳がATMに吸い込まれてしまったり、電話がつながらず、その利用者を長時間にわたり放置することになったりと、散々な状況になりました。

また、定期預金が入金できなかったトラブルは大したことが無かったとはいえ、一方で、国内他行向けの外貨建て送金が計263件、約500億円が遅延しています。

日本の銀行は正確性、堅確な事務が売りでした。ATMが使えない、送金ができないというのは、銀行に対して期待されている機能の根本が果たせていないことになります。

これらのシステム障害が続く要因は何なのでしょうか。

みずほ銀行は、日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行という3銀行が統合した巨大銀行であり、メガバンク誕生の先駆けです。

但し、この統合において3行が対等の統合に拘った結果として、様々な問題が発生してきました。

その最も有名な事例が、過去2回の大規模なシステム障害です。この2回のシステム障害は合併前のシステムを併存させたことが根本的な原因と指摘されていました。但し、それも銀行界のサクラダファミリアと言われたシステムをついに完成させ、問題は解消されたはずでした。

しかし、またしてもシステム障害は起こりました。

このような障害の根本的な問題は、人事が実力本位ではなく、旧行でポストを分け合っているからだと言われることもありました。

 

みずほのトップ人事

そこで、みずほのトップ人事を簡単に確認してみましょう。

  みずほFG社長 みずほCB頭取 みずほBK頭取
2002年 前田 晃伸(旧富士) 齋藤 宏(旧興銀) 工藤 正(旧一勧)
2004年 杉山 清次(旧一勧)
2009年 塚本 隆史(旧一勧) 佐藤 康博(旧興銀) 西堀 利(旧富士)
2011年 佐藤 康博(旧興銀) 塚本 隆史(旧一勧)
2013年 合併により(新)みずほ銀行
2014年 林 信秀(旧富士)
2017年 藤原 弘治(旧一勧)
2018年 坂井 辰史(旧興銀)
2021年 加藤 勝彦(旧富士)→就任取り止め

この図表を見ると、旧興銀出身の佐藤氏がみずほFGでトップになるまでは、旧行でバランスをとってトップ人事を行っていたことは間違いないでしょう。

しかし、みずほコーポレート銀行(CB)とみずほ銀行(BK)が合併して新生みずほ銀行が誕生してからは、主要ポストが減ったという見方もできます。

そして、2018年に持株会社(FG)の新社長が旧興銀出身者となった際には話題となりました。2代続けて旧興銀の出身者がトップとなったからです。

トップ交代会見では佐藤氏が「興銀から興銀へ変わるのはよくないという気持ちが以前はあったが、みずほに旧行意識はもはやなく、人物本位で選んでも大丈夫だと確信している」と断言しました。

それほどにみずほは旧行意識が強かったということでしょう。

今は払拭されているのかもしれませんが、みずほ銀行の新頭取に内定していた加藤氏は旧富士です。旧一勧から旧富士への交代というのも、やはり旧行を意識した人事ではないかと考えてしまうところです。

 

所見

みずほは「3行対等合併」を前面に出して統合したことによって、3メガバンクの中でも特に出身行への帰属意識である旧行意識が強く、激しい縄張り争いを繰り広げてきた負の歴史があると常々報道されてきました。

みずほのシステムが巨額の費用と長い時間をかけて統合されてきたのも、同様に旧行意識(と旧行の取引ベンダーの関係)が要因と言えそうです。

みずほの前身である日本興業銀行(興銀)、富士銀行、第一勧業銀行(一勧)は、それぞれ日本のトップバンクとなった経験のある非常に実力のある銀行でした。今は知らない人も増えたかもしれません。しかし、本当にそれぞれがトップバンクと呼ばれたことがあるのです(興銀は規模というよりは「能力」と言った方が良いかもしれませんが)。

とても3メガバンクの中で3位に甘んじるような銀行ではないはずなのです。3行を合わせたら、どう考えてもメガバンクのトップになっていておかしくないのです。

このような事態を招いたのは、明らかに歴代の経営トップの責任でしょう。

みずほの歴史は、企業が衰退していく事例を学ぶ教科書になっているようにすら筆者には思えます。

それでもみずほには潜在力があるはずです。特に旧興銀(IBJとも呼ばれていました)の調査能力は素晴らしく「興銀が貸出をするなら、うちもOK」というような判断が他行でまじめにされていたのです。

みずほの今後の復活に筆者は期待しています。