政府が会社員への給与のデジタル払いを本年春から認める方針を示したと一部で報道されています。
この「給与のデジタル払い」、すなわちPayPay等の「資金移動業者」を通じて給与を支払う仕組みは、導入されると、給与を受け取る個人にとってメリットとなる可能性があります。資金移動業者を給与受取先に指定すると、ポイントが獲得できるというようなことが想定されます。
この給与のデジタル払いが普及すると、銀行、特に地方銀行(地銀)には大きな影響を与えることが想定されます。今回は、給与のデジタル払いが地銀に与える影響について簡単に考察してみたいと思います。
給与のデジタル払いがもたらすメリット
給与のデジタル払いがどのようなものか、誰にメリットがあるのかについては、以下の記事をご参照ください。
給与の支払方法
では、今までの給与の支払い方法というのは、どのようになっていたのでしょうか。
企業の給与支払い手段は労働基準法で規制され、現時点では、給与振込口座が事実上、独占的な地位を占めています。
労働基準法では、給与は現金(「通貨で」「直接労働者に」)での支払が原則ですが、特別に認められた例外として銀行口座への振込が認められています。銀行は「確実に支払う」だろうから、通貨払いの例外として法令で許容されているのです。
企業は現金で給与を支払っていた時代もありましたが、現金取扱リスク削減、事務負荷減のため、現在はかなりの企業が給与を銀行口座への振込によって行っています。
給与の銀行振込が銀行にもたらしたメリット
この給与の銀行口座振込は銀行に大きなメリットをもたらしてきました。
<銀行の主なメリット>
- 給与支給に対応する企業への現金配送の廃止
- 普通預金に個人の資金が滞留することによる低コストの資金調達
- 企業にとって必要な機能を提供することによる銀行と取引先企業との関係強化(簡単には取引を切り替えられない=取引の固定化)
- 手間のかかる個人ではなく、企業へのアプローチをすることによる効率的な預金獲得
- 給与口座への資金滞留を前提とした公共料金等の銀行口座による自動引き落としへの誘導(窓口での支払減=事務負荷減)
- 給与口座への着実な給与入金を前提とした、個人への銀行貸付(住宅ローン、カードローン等)での延滞率の削減(優先的な回収、払い忘れの防止)
筆者は銀行が給与振込口座を獲得できたことは、銀行にとって大きなイノベーションだったと考えています。
企業にとっても、個人にとっても、そして当然ながら銀行にとっても給与の銀行口座への振込は非常に都合が良かったのです。
給与振込と地銀
給与の振込制度は、地銀にとって他銀行との差別化を可能にしてきました。
その地域で店舗網・ATM網が充実していることは地銀にとって重要な競争力になっていたのです。
地方に存在する企業にとっても、従業員の利便性を考え、店舗・ATMが少ないメガバンクよりもネットワークが充実した地銀を給与振込で使うことになるのは当然でしょう。
実際に、金融広報中央委員会における調査では、二人以上の世帯において、金融機関の選択理由について8割近くの個人が「近所に店舗やATMがあるから」を選択しています。この選択は最多です。個人は、基本的に「現金の扱いにおいて利便性が高い銀行」を選択する傾向にあるのです。
ところが、給与のデジタル払いが拡がり、キャッシュレスが更に一般的になると、銀行を選択する基準が変化する可能性が高くなります。近くに店舗やATMがあっても現金を使わないのであれば、基本的にその銀行の店舗やATMは無意味です。すなわち、給与のデジタル払い、キャッシュレスが拡大していくと地銀の優位性は崩れ、地方であっても知名度のあるメガバンクや、アプリが使いやすかったり金利が相対的に有利なネット銀行を使う選択をする個人が増加する可能性があるでしょう。
今後の動向
筆者は給与のデジタル払いが急激に進むとは予想していません。それは、キャッシュアウトの問題、安心感(補償の仕組み)、デジタルマネー同士の交換・送金が理由です。
給与の銀行口座振込は銀行の口座に送金するため、口座から当たり前のように現金が引き出せます。しかし、他のデジタルマネーを提供する業者が管理する口座への給与支払の場合は、どうでしょうか。
資金移動業者が用意する「口座」からはそのままでは現金での出金は基本的に出来ません。銀行の口座に振り替える必要が出てくるでしょう。
銀行はこの点で資金移動業者に手数料を要求してくるのではないでしょうか。タダで銀行口座に資金を振り替えられるのであれば問題はありませんが、給与振込という収益源の一つを失った銀行がそれを許すでしょうか。
また、デジタルマネーは、デジタルマネー同士の交換が基本的にできません。銀行預金のように利便性は高くないのです。
よって、筆者は給与のデジタル払いは簡単には進まないと考えています。
一方で、これに油断していると銀行は競争力を失っていくでしょう。
キャッシュアウトの問題がクリアされたり、デジタルマネーの利便性が一定値を超えたりすれば、急激に銀行預金は魅力を失う可能性もあるのです。そうすれば、銀行のビジネスモデルは破壊されかねません。特に地銀が築いてきたインフラ(店舗・ATM)は無価値になる可能性すらあります。
銀行は自らのサービスを改善し、他業種の企業が提供するサービスよりも優れたものを提供し続けなければなりません。 キャッシュレスが進む時代には、現金を扱うことができるという銀行の強みが薄れていくことは間違いないのです。
給与のデジタル払いは、特に地銀の存在感を消し去るかもしれません。残された時間は多くはないでしょう。