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なぜトヨタは1兆円の融資枠を必要としているのか?

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日本のみならず世界の大企業たるトヨタ自動車(以下トヨタ)が、銀行に対して1兆円の融資枠(コミットメントライン)の設定を要請したとの報道がなされています。

新型コロナウィルスの影響によって、トヨタであったとしても資金不足に陥っているのでしょうか。それとも万が一の備えでしかないのでしょうか。

今回はトヨタが1兆円の融資枠を要請した背景について簡単に考察してみましょう。

 

報道内容

まず、トヨタが1兆円の融資枠を要請したことについて日経新聞が報じています。その記事を引用します。

トヨタ、1兆円の融資枠要請 新型コロナ長期化に備え 
2020/3/27 日経新聞

トヨタ自動車が三井住友銀行と三菱UFJ銀行に対し、計1兆円規模のコミットメントライン(融資枠)の設定を要請したことが27日、明らかになった。足元でトヨタの財務基盤は強固だが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で不透明感が増す事業環境に備える。

トヨタは2019年12月末で約6兆円の手元資金がある。格付け大手のムーディーズ・ジャパンは27日、トヨタの財務格付けを1段階下げて「A1(シングルAプラスに相当)」にしたが、なお日本企業では屈指の高水準にある。
ただ、新型コロナの猛威に歯止めがかからず、トヨタは新車市場の減速に備えて欧米などで工場の休止が相次いでいる。国内でも4月3日から5つの工場で7つの生産ラインを一時休止する方針を固めている。内外の金融市場も荒っぽい値動きが続いており、手元資金を厚めにする狙いがある。
自動車メーカーを巡っては世界的に販売が急減し経営環境が悪化している。米ゼネラル・モーターズ(GM)はキャッシュフロー(現金収支)の悪化に備え、金融機関の融資枠から160億ドル(約1兆7000億円)を引き出して手元資金に加えたほか、グローバルの正社員約6万9000人の給与の20%の支給を延期する方針を示している。

(出所 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57314840X20C20A3L91000/

この記事にもあるようにトヨタの財務基盤は盤石といって良いでしょう。 経営環境に不透明感が増しているとしても、すぐに資金が必要になる訳ではないでしょう。日経新聞では「手元資金を厚めにする狙いがある」ともあります。

トヨタは何を考えているのでしょうか。もう少し詳しく見ていくことにしましょう。

 

トヨタの財務状況

誰もが知るトヨタは、企業規模が桁違いです。

2019年3月期の連結業績は、販売台数898万台、売上高30兆2,256億円、営業利益2兆4,675億円、 当期純利益1兆8,828億円です。 総資産51兆9,369億円、純資産20兆5,652億円となっており、当たり前ですが、20兆円の赤字を出しても債務超過に陥りません。

1兆円の融資枠といえば巨大な資金のように感じますが、トヨタの総資産と比べると1.9%にしかなりません。

2020年3月期3Q(2019年4~12月)も売上高22兆8,302億円(前年同期比+1.6%)、営業利益2兆588億円(同+6.2%)と好調をキープしていました。

2019年12月時点では、現金および現金同等物3兆7,592億円、 定期預金1兆4,885億円、有価証券7,952億円となっており、 合計すると手元ですぐに動かせる資金は6兆429億円です。他にも売ることのできる資産はあり、 投資有価証券(固定資産)は7兆6,514億円です。これも換価性には優れているでしょう。

一方で、短期借入(コーマーシャルペーパー含む)5兆4,844億円、1年以内に返済の長期借入債務4兆4,859億円であり、短期的に返済を行う必要が出てくる可能性がある債務は合計9兆9,703億円となります。‬

以上をまとめると2019年12月の財務状況は以下のようになります。

  • 手元資金 6兆429億円
  • 投資有価証券(固定資産) 7兆6,514億円 
  • 短期借入債務(1年内期限到来の長期含む) 9兆9,703億円

すなわち、1年間の間、生産が止まり、銀行借入が行えなければ、手元資金だけではトヨタは資金繰りが持ちません。しかし、投資有価証券をも売却すれば1年間無収入で銀行が資金を貸してくれなかったとしても問題なく乗り越えるでしょう。(もちろん、その段階では世界恐慌に陥っており、投資有価証券の価格が大幅に下落している可能性はありますが)

さらに、2019年3月31日現在で、トヨタには1兆8,922億円の未使用の短期借入枠(うち274,058百万円はコマーシ ャルペーパー)があると有価証券報告書で記載されています。2019年3月末の短期借入債務は5兆3,450億円であり、2019年12月末の短期借入債務は5兆4,844億円ですから、トヨタの未使用短期借入枠は恐らく2019年12月末段階でも1兆5,000億円以上は存在するものと推測されます。また、2019年3月末現在でトヨタには6兆4,574億円の未使用の長期借入枠もあります(有価証券報告書)。すなわちトヨタは長短合わせて8兆円程度の融資枠(未使用)を持っているのです。

筆者の考えでは、恐らくトヨタは融資枠を本質的に必要としていません。

では、なぜ1兆円の融資枠設定をトヨタは行うのでしょうか。

 

融資枠設定の理由(私見)

私見ですが、トヨタが更に1兆円の融資枠を銀行に要請した理由は以下2点に集約されるのではないかと考えています。

  • 格付会社へのアピール効果(外部格付の低下食い止め)
  • トヨタ関係先への資金支援の支援準備

まず、格付会社への対応ですが、ムーディーズ・ジャパンは2020年3月26日にトヨタの格付けをAa3からA1に1段階格下げしたと発表し、さらなる格下げ方向で見直しの対象としています。またS&Pも同日、トヨタの長期・短期格付けを引き下げ方向の「クレジット・ウォッチ」に指定しています。

この格下げを少しでも食い止めようという考えがトヨタにはあるのでしょう。すなわち、トヨタは取引主要行からいつでも巨額の資金を追加で引き出せるというアピールです。

ただ、これだけが融資枠設定の理由ではないものと筆者は考えています。

例えば、東日本大震災の時も生産がストップしましたが、あの時に起きたことを思い出せば参考になるでしょう。

トヨタは有名なジャストインタイム生産・調達を行っています。売上30兆円に対して支払手形・買掛金は2兆3千億円(2019年12月末時点)しかありません。すなわち買掛債務は売上の1ヵ月弱分しかないのです。

一方で、少なくとも日本に限るとトヨタのディーラーは直営店ではなく地元資本の別会社が担っていることが多いと言えます。このディーラー等への売掛金は2019年12月末時点で2兆1千億円程度となっています。こちらも売上の1ヵ月弱しかありません。

この買掛債務と売掛債権は、トヨタ車が売れなくとも、生産が止まってもトヨタが支払う、もしくは受け取るべきものです。

しかし、生産停止・販売不振が長引けばトヨタは生産・販売網を維持するために、関係者に資金支援を行う必要が出てくるでしょう。特にジャストインタイム生産でトヨタにとっては買掛債務、サプライヤーにとっては売掛債権が短期である生産関連が問題となります。(サプライヤーにとっては資金が1ヵ月程度しか入ってきません)

そのため、トヨタにとっては、買掛債務を当然に支払うのみならず、場合によっては見込み発注をしておいて、先に資金を渡しておくことも考えられます。

また、販売店(ディーラー)には、トヨタが受け取るべき売掛金を猶予することも考えられます。また、トヨタには販売店を資金面で支える貸出コミットメント制度があり、2019年3月末現在で販売店に対する貸出未実行残高は2兆8,915億円(有価証券報告書)です。

あくまで一つの想定ですが、トヨタの生産・販売が3~5月の3ヵ月ストップしたとしましょう。

この場合、トヨタの関係者であるサプライヤー等は約7兆円(≒2兆3千億円×3ヵ月)の入金を失います。 また、販売店も同様に少なくとも7兆円以上の入金を失うでしょう(但し、トヨタへの支払い=キャッシュアウトも無くなるでしょう)。

トヨタとしてはトヨタを取り巻く関係者を維持するために、上記サプライヤーが受け取れない7兆円程度と販売店の運転資金(人件費等)としての貸出未実行分の使用約3兆円程度、合計10兆円程度を支援する必要が出てくるかもしれません。

以上を鑑み、トヨタのざっくりとした今後の資金の流れを保守的に想定すると以下のようになります。

  • 手元資金 +6兆円
  • 投資有価証券(固定資産) +7兆円(もっと減少している可能性あり)
  • 既存の融資未使用枠 +8兆円
  • 短期借入債務(1年内期限到来の長期含む) ▲10兆円
  • サプライヤー等への資金支援 ▲7兆円
  • 販売店への資金支援 ▲3兆円
  • 合計は「+1兆円」
以上は非常に粗い試算です。短期借入債務(1年内期限到来の長期借入含む)は、当然に借換に銀行が応じるでしょうし、サプライヤー等への資金支援もここまで必要はないかもしれません。それでも、保守的に考えると上記のようにトヨタといえども資金はタイトになるかもしれません。
トヨタはこのように「関係者を支援する」という観点から、万全の体制を取るべく1兆円の融資枠を要請したのではないでしょうか。
以上がトヨタの1兆円融資枠設定要請に対して筆者が想定する理由です。
この融資枠が使用される事態が来ないことを筆者としては祈ります。