行動経済学という言葉をお聞きになったことはありますでしょうか。
行動経済学とは「人間は合理的ではない」ことを前提とした経済学です。
現代において、この行動経済学は様々な場面で活用されています。
それには良いことも悪いこともあります。
今回は、行動経済学の中で「行動バイアス」と呼ばれる「人のクセ」を利用した悪い事例について見ていきたいと思います。
行動経済学とは
行動経済学とは、心理学の研究を応用し、人間の心理や感情的な側面をベースに分析される経済学です。従来の伝統的な経済学では、人間は常に合理的な行動を取ると仮定されていました。一方、行動経済学では、人間は必ずしも合理的な行動をするわけではないことを前提にしています。
従来の経済学は、人間は経済的合理性に基づいて行動し、自己利益を追求する性質を持つという前提の下で成り立ちます。これは経済をモデル化しやすくするためです。
ところが、我々「ヒト」は合理的な行動ばかりをする訳ではありません。
行動経済学では、消費者が意思決定を行う際に生ずる、規則性のある判断の偏り(バイアス)を「行動バイアス」と呼びます。この行動バイアスは、下記の四つの条件が揃うと発生しやすくなるとされています。
- 意思決定に複雑な情報処理を伴う場合
- 意思決定にリスクや不確実性が伴う場合
- 意思決定の結果が現在と将来の利益の双方に影響を及ぼす場合
- 意思決定により何らかの見返りが期待できる場合
個人が、金融取引を行う際の意思決定は、まさに上記条件を充足しています。金融取引と行動バイアスの間に密接な関係があるのです。
これは個人としては注意しなければなりません。
行動経済学をうまく利用すれば金融機関に「行動を誘導されてしまう」可能性があるからです。
行動バイアスの例〜損失回避〜
では、行動バイアスという我々人間の「クセ」で注意しなければならない事例はどのようなものでしょうか。
例えば、銀行や証券会社から熱心に勧められて購入したものの、販売時や経常的な手数料が高く、かつ株式市場は更に下落が見込まれており、現在は含み損となっている投資信託を個人が保有している事例が参考となります。
このような投資信託は合理的に考えれば、損失が拡大することを抑制するために、投資信託を売却し「損を確定する(=損切り)」必要がある可能性が高いものです。
しかし、実際には、個人の多くが、銀行員や証券会社職員からの「損を取り返しましょう」「下がったら、これからは上がるだけです」等のセールストークを受けて、損切りの実行を躊躇したり、かえって損失をとり返そうとして追加投資に踏み切る事例が多く見られます。
このように、簡単に損切りに踏み切れないのは、損失発生時の「心理的苦痛」が、収益発生時のプラスの感情を上回り、無意識に「損切り」を先延ばしてしまうためです。
この行動バイアスは、「損失回避」と呼ばれています。
「損失回避」とは、利益を得た時の喜びの感情よりも、同額の損失を被ったときの悲しみの方が、より強く感じる傾向のことです。
例えば、以下のコイントスゲームがあった場合、読者の皆さんは参加するでしょうか。
<コイントスゲーム>
A. コイントスで表が出たら3万円もらえる。
B. コイントスで裏が出たら2万円支払う。
このコイントスゲームは、確率で言えば「得する可能性が高い」のです。しかし、大多数の個人は、損失発生の可能性を高く認識してしまい、ゲームに参加しないという選択をしがちです。
損失回避は、人間のクセですが、このクセは株式市場等での投資には向いていません。
上述の損切りも行うのが難しく、一方で、損失が発生するリスクを負うことを避けようとして、チャンスでも投資に踏み切れなかったりします。結果として、投資で失敗する人が多くなるのです。
行動バイアスの例〜近視眼的行動〜
次は「近視眼的行動」と言われている行動バイアスです。
「近視眼的行動」は、住宅ローンやクレジットカードの利用など、資金の借入時に生じるとされています。
例えば、米国のサブプライム住宅ローン問題で脚光を浴びた「借入当初2年間の支払い金利だけが異常に低い」30年物の住宅ローンは、目先の低金利につられやすい個人の行動バイアスが利用された典型と言えます。
また、米国などでは消費者がクレジットカードのリボルビング払いを利用する際に、元利払い最小化のための合理的な返済方法を検討しないまま「近視眼的行動」に陥り、請求書に記載された最低支払額のみを支払い続けてしまうケースが問題視されています。
日本でも「毎月一定の支払額」でリボルビング払いを使えますが、気づけばリボルビング(=借入額)残高が増加し続けていた事例は多数あります。
リボルビング払いは、結果として返済負担額が増加し、多重債務に陥るリスクが高まってしまいます。これは人間のクセを利用したものであり、金融機関から借金漬けにされるようなものです。
行動バイアスの例〜心理勘定〜
最後に「心理勘定」の事例も見てみましょう。
「心理勘定」とは、消費者が心の中に家計簿のような帳簿をもち、収入や支出を記入して、勘定毎に資金管理をするという、行動経済学上の概念です。
例えば、カジノで儲けた10万円と毎月の給料収入の一部である10万円は同じ価値だと思えるでしょうか。あぶく銭効果とも言われていますが、我々は同じお金であったとしても、無意識に色分けしてしまうのです。
この心理勘定も個人にとっては悪い効果をもたらす可能性があります。
例えば、住宅ローンや自動車ローンを借りている個人が、親から多額の資金を相続したとします。この対応を銀行員に相談したらどうなるでしょうか。
本来であれば、資産・負債両面を総合的に勘案した効率的な資金運用・借入を提案するのがプロのはずです。
ところが、リスクの高い投資信託や不動産投資を勧められるだけかもしれません。本来は、トータルで見れば住宅や自動車のローンを返済した方が良いことが多いでしょう。それでも銀行員は「元々無かったお金ですから」等のセールストークを駆使してきます。その際に「心理勘定」というクセから、お金を色分けしてしまうことはあるのです。
所見
金融機関が短期的な収益拡大を意図して、無理に貸出を伸ばそうとする場合には、行動経済学の知見を「悪い方に使い」、上述の「近視眼的行動」等が販売促進に利用され、利払い負担増や金融トラブルの増加といった形で、個人の利益が損なわれる可能性があります。
また、金融機関が個人の預かり資産を増やそう(=預かり資産が増えれば手数料収入が残高比例で増えるため)とすれば、「損失回避」を効果的に使い、顧客のためにならないのに、損切りをせず取引維持を勧めるかもしれません。
「貯蓄から投資」の政府の掛け声、低金利の継続による「企業年金の確定拠出年金への移行(個人に運用責任を負わせる)」、「老後2,000万円問題にみる資産運用の推奨」等、我々個人は、これから今まで以上に資産運用に取り組まざるを得なくなってきます。
その際に、行動バイアスという自らのクセを自覚し、少しでも合理的に行動しなければ、金融のプロと称する銀行員や証券会社から「カモ」にされかねません。そして、カモにされなかったとしても、自らのクセを認識出来なければ資産運用で負ける可能性が高いのです。
今一度、自分自身は決して合理的ではないことを認識し、自らの行動を振り返る必要があるのかもしれません。