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ゆうちょ銀行の貯金預入限度額の限度額引き上げは「問題無し」

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日本郵政グループのゆうちょ銀行の預入限度額の撤廃・引き上げをめぐる論議が大詰めを迎えています。郵政民営化委員会は2019年4月の預入限度額の引き上げ実現に向けて年内に結論を出したい考えと報道されています。

ただし、ゆうちょ銀行への資金シフトを懸念する地方銀行など金融業界の反発を背景に金融庁は見直しに慎重姿勢を崩していない模様です。

今回は、このゆうちょ銀行の預入限度額の撤廃・引き上げについて考察しましょう。

 

報道内容

2018年12月24日現在では郵政民営化委員会のホームページには特段の議事要旨や所見は掲載されていませんので正確なところは分かりませんが、以下の報道がなされています。 

ゆうちょ、預入限度額2600万円に倍増へ 政府方針

2018/12/19 日経新聞

 政府はゆうちょ銀行が扱う貯金の預入限度額を今の2倍となる2600万円に上げる方針を固めた。普通預金にあたる通常貯金と定期性貯金の合算で1300万円の枠を分離して、それぞれ1300万円とする。限度額引き上げは民間金融機関が反対してきたが、郵政の民営化を進める中で利便性の向上が必要と判断した。
 政府の郵政民営化委員会が限度額引き上げを提言する意見書を年内にまとめ、安倍晋三首相に提出する。その後、総務省と金融庁が政令の改正手続きに入る。実際に限度額が引き上げられるのは、周知期間などを経て2019年春になる見通し。
 ゆうちょ銀は政府が過半を出資する日本郵政の傘下にある。限度額上げを認める一方、政府は日本郵政にゆうちょ銀株の保有比率を現在の9割弱から、将来は3分の2以下に下げるよう求める。
 限度額を上げると、民間金融機関の預金がゆうちょ銀に流れ込むとの懸念がある。ゆうちょ銀には、貯金の獲得で社員を評価する仕組みの撤廃を求める。
 ゆうちょ銀の限度額は現在、通常貯金と定期性貯金の合計で1300万円。日本郵政や全国郵便局長会(全特)は通常貯金を規制の対象外とするよう求めていた。
 一方、金融庁や全国銀行協会などは日本郵政株の過半を保有する政府による暗黙の保証があるまま限度額を緩和するのは、民間金融機関との競争条件をゆがめかねないとして反発していた。 

以上のような報道がある一方で、麻生金融相はゆうちょ銀行の限度額引き上げは集まってきた貯金をどのように運用するのかについての整理が必要だと発言しています。 

財務・金融相、ゆうちょ銀の限度額引き上げ「簡単にはいかない」
2018/12/21 日経新聞

 麻生太郎財務・金融相は21日朝の閣議後に開いた記者会見で、ゆうちょ銀行が扱う貯金の預入限度額を現在の2倍の2600万円に引き上げるとの報道に関して「入ってきた貯金をどう運用するのかという問題をきちんと整理しないと簡単にはいかない」と話した。

 限度額の引き上げに伴い貯金残高が増えた場合について「融資するなら審査能力はどうするか、マイナス金利なら赤字分は誰が払うか。運用について真剣に考えないと(限度額引き上げを)できない」とし、「民業圧迫になりかねない、というのが金融庁を預かる我々の立場だ」と強調した。

(以下略)

このように、ゆうちょ銀行の貯金預入限度額の撤廃・限度額引き上げの問題は、主に以下の論点があります。

  • ゆうちょ銀行の利用者の利便性向上のために貯金預入限度額の撤廃・限度額引き上げが必要
  • 民間金融機関の預金が実質的に政府保証がついているゆうちょ銀行の貯金へ流出する懸念
  • ゆうちょ銀行に集まってきた貯金の運用方法

日本郵政などは「(他の金融機関が近くにない)地方を中心に退職金などを預けるためには不十分との声が根強い」などとして、顧客の利便性の観点から通常貯金の限度額撤廃を求めてきました。総務省が民営化委に提出した資料によると、民間企業の定年退職者の平均退職金額は2300万円余りとされています。限度額が1300万円では、その受け皿としては不十分だと主張しているのです。(Sankei Biz 大詰めを迎える「ゆうちょ銀行限度額」見直し、ぎりぎりの調整続く 2018.12.13)

では、ゆうちょ銀行の貯金預入限度額の撤廃・限度額引き上げが実現した場合に、どのような影響が出ると想定されるのでしょうか。

一つの考え方ですが、以下で数字を見てみましょう。

 

世帯の預貯金動向

2018年5月に総務省が「家計調査報告(貯蓄・負債編)-平成29年(2017年)平均結果- (二人以上の世帯) 」を発表しています。

  • 二人以上の世帯における2017年平均の1世帯当たり貯蓄現在高(平均値)は1812万円。このうち勤労者世帯では1327万円。
  • 二人以上の世帯の貯蓄保有世帯の「中央値」は1074万円。[注)貯蓄保有世帯の中央値とは、貯蓄現在高が「0」の世帯を除いた世帯を貯蓄現在高の低い方から順番に並べたときに、ちょうど中央に位置する世帯の貯蓄現在高をいう。]
  • 二人以上の世帯かつ勤労者世帯の貯蓄保有世帯の中央値は792万円。
  • 二人以上の世帯について貯蓄現在高階級別の世帯分布をみると、貯蓄現在高の平均値(1812万円)を下回る世帯が約3分の2(67.0%)を占め、貯蓄現在高の低い階級に偏った分布。
  • 貯蓄の種類別貯蓄現在高及び構成比では定期性預貯金712万円(平均貯蓄現在高の39%)、通貨性預貯金442万円(平均貯蓄現在高の24%)。他に生命保険377万円、有価証券246万円等。
  • 勤労世帯の場合は、貯蓄の種類別貯蓄現在高及び構成比では定期性預貯金445万円(平均貯蓄現在高の34%)、通貨性預貯金371万円(平均貯蓄現在高の28%)

以上で分かるように、二人以上の世帯平均貯蓄現在高は1,812万円となっていますが、 いわゆる中央値は1,074万円です。

そして、定期性預貯金・通貨性預貯金の割合は全体の65%程度となっていますので、二人以上の世帯の預貯金の中央値は700万円程度と想定できます。

また、勤労世帯に限れば預貯金の中央値は491万円程度と想定されます。

あくまで、中央値での議論にはなりますが、ゆうちょ銀行の貯金預入限度額が撤廃されようと限度額が引き上げられようと、中央値から見れば、民間金融機関=銀行からゆううちょ銀行への資金シフトはあまり起こらない可能性が高いと筆者は考えています。

理由は明白で、現在でも「一般の(中央値の)」国民からすれば、ゆうちょの限度額を超えるほどの預貯金を保有していないからです。ゆうちょ銀行へ資金をシフトしたい世帯は既に資金シフトを行っているのではないでしょうか。

もちろん、総務省が主張するように退職金の受け取りという観点では、ゆうちょ銀行の枠が足りないということは想定されますので、この退職金分が民間金融機関からゆうちょ銀行へシフトする懸念がないとまでは言えないでしょう。

 

所見

ゆうちょ銀行の貯金預入限度額の限度額引き上げが報道通りに達成されるとして、その恩恵を受けるのは「誰」でしょうか。

上記の預貯金の動向を見る限りは、個人としては「比較的預貯金を多く持っている」世帯が恩恵を受ける可能性はあります。

しかし、本当のところは、郵政民営化委員会そしてゆうちょ銀行は別の観点を持っているのではないかと筆者は考えています。

ゆうちょ銀では利用者が一時的に限度額を超えた場合、超過分は自動的に振替貯金に移される。同貯金は利子が付かず限度額もない。しかし、振替貯金は本来、送金や決済に特化した口座であり、ゆうちょ銀では、同口座に超過分を移した場合には、利用者への通知や電話で引き出しを要請するなど、多大な事務負担が発生しているという。ゆうちょ銀幹部は「人件費などで月に20億~30億円かかっている可能性もある」と説明。限度額が撤廃されれば、こうした負担がなくなることに理解を求める。

(Sankei Biz 大詰めを迎える「ゆうちょ銀行限度額」見直し、ぎりぎりの調整続く2018.12.13)

以上の記事にある通り、限度額を撤廃できないにしろ、少しでも引き上げることができればゆうちょ銀行の事務負荷は低減される可能性が高くなってきます。

前述の通り、日本の世帯における預貯金は、上限が議論されている2,600万円を下回る世帯が大多数です。そのため、ゆうちょ銀行の利便性に対する国民のニーズは弱いと筆者は考えています。

そのため、ゆうちょ銀行の貯金預入限度額の限度額引き上げの狙いは、現時点ではコスト削減に主眼があると想定できます。

一方で、麻生大臣が指摘しているゆうちょ銀行の資金運用については、現在も問題・課題があります。融資業務を持つ地方銀行ですら運用には苦労している低金利時代ですから、融資業務を実質的に持たないゆうちょ銀行では更に運用に苦戦していると言えるでしょう。

この点については問題・課題とは言えますが、資産運用での苦戦以上に、コスト削減の効果の方が大きいとゆうちょ銀行、郵政民営化委員会は想定しているのでしょう。

筆者は、ゆうちょ銀行の貯金預入限度額は撤廃されて良いと考えています。確かに特に地方銀行等からの資金シフトはある程度起きるかもしれません(起きない可能性の方が高いと思いますが)。

しかし、現時点では預金減少を恐れる地方銀行等は少ないでしょう。預金が集まってきていても運用ができないからです。預金は銀行にとって非常に重要なサービスですが、その価値は低下してきています。

そして、この状況は一過性だとは思わない方が良いでしょう。世界的には金融緩和環境が終了していく局面にあるかもしれませんが、日本においては財政的な制約から、そして民間の資金需要の観点からも、金利の引き上げは難しいと想定されるからです。

そのような中では、預貯金を争うのではなく、銀行はサービスでゆうちょ銀行を含めた他金融機関と競争しなければなりません。

よって、ゆうちょ銀行の貯金預入限度額の限度額引き上げは本質的には、どの関係者にとっても問題はないはずだと筆者は考えているのです。

なお、銀行業界がゆうちょ銀行の「規制緩和」に反対する根源的な理由は、ゆうちょ銀行の法人に対する融資業務参入を阻止することにあると考えます。その議論に行く前に、できるだけ「貯金業務」での規制緩和について阻止することで、融資業務の参入の議論を遅らせるというのが銀行業界の戦略ではないでしょうか。