銀行員のための教科書

これからの時代に必要な金融知識と考え方を。

史上最強の金融庁長官 森氏の退任について考えること

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通例を超えて3期務め、史上最強の長官と言われた森金融庁長官の退任が報道されています。

金融業界外の方にとってみれば金融庁の長官と言われても認識は薄いかもしれません。

しかし、ここ暫くの間は金融界、とりわけ銀行にとって非常に大きな影響を与えてきた人物であることは間違いありません。

今回は、森長官が行ってきた施策等について振り返ると共に、その果たした役割について考察します。

 

施策

森長官がどのような施策を行ってきたかということは、金融業界以外の方にとってはあまり興味もなければ、知る価値も無いと感じているかもしれません。

しかし、金融は国民生活にとって大きな影響をもたらすものであることは間違いありません。

そして、豊かな国民生活を送るためには資産形成が重要であることも否定できない事実でしょう。

この数年で銀行業界は大きな変革期にあります。その一端を担っているのは間違いなく豪腕の森長官でしょう。

まずは、森長官(および金融庁)がどのような施策を出してきていたのかについて以下列挙します。
(※これで全てではないでしょうし、一部は報道が間違っているかもしれませんが、筆者目線で重要と思われる施策をピックアップしております)

 

<顧客本位の業務運営>

  • 顧客本位の業務運営(フィデューシャリー·デューティー)に関する原則の制定
  • 毎月分配型投資信託に偏る銀行の投信販売姿勢への警鐘
  • 長期投資=積立型NISAに対応する運用商品の選定(インデックス·低コスト投信の推奨)
  • 投信·保険の手数料開示(「情報の非対称性」を解決するため、顧客が直接・間接に支払う手数料率や手数料額、またこれらがいかなるサービスの対価なのかの明確化を推進)

 

<ビジネスモデル(主に地銀)>

  • 長短金利差を利用して利鞘を稼ぐバンキングモデル(ビジネスモデル)への警鐘
  • 融資先の成長性を見極める融資姿勢の推奨
  • 担保·保証に過度に依存しない、事業をみた融資への転換促進
  • 個別資産査定は、金融機関の判断を極力尊重
  • 地方銀行統合の推奨(一方で、公正取引委員会の審査問題も発生)
  • 外国債券投資における金利上昇リスク対応構築、含み損処理の推奨
  • 投資信託(主に私募投信)にて決算を作る地銀への警鐘
  • 国債等債券関係損益にて利益を作る地銀への警鐘
  • 投資信託が短期的なリターンを狙う回転売買の商品として使われ、長期的な資産形成に資する商品として十分活用されていないことに対する、特に銀行への警鐘
  • アパートローン過熱への警鐘
  • カードローン拡大への警鐘

 

<金融行政>

  • トップ人事への介入(三井住友トラストホールディングス等)
  • 金融庁検査局の廃止
  • 銀行のガバナンス(透明性)の向上
  • 金融処分庁から金融育成庁への改革
  • 金融行政への民間人登用
  • ルール·ベースではなく、プリンシパル·ベースの行政指導
  • 将来の課題を見据えた(フォワードルッキングな)問題提起と対話による自主改善
  • 金融機関の優れた取組み(ベストプラクティス)の掘り起こしと情報提供
  • 顧客本位を口で言うだけで具体的な行動につなげられない金融機関が淘汰されていく市場メカニズムが有効に働くような環境創造
  • スルガ銀行のような独自のビジネスモデルを作り上げることを奨励
  • 法規制を業態別から機能別へ転換する方向性の策定
  • ゆうちょ銀行の預入限度額の撤廃「反対」
  • 報酬体系に関して役職員による過度なリスクテイクが誘発されるおそれほか、雇用慣行や時事評価制度等に関して同様のおそれが見られないかのチェック

 

<金融市場,資産運用改善>

  • 運用会社(アセットマネジャー)の運用力向上
  • アセットオーナー(例:年金基金)の運用会社を見極める能力の向上
  • スチュワードシップ活動にかかる原則の制定
  • 運用機関による議決権行使状況の開示(運用機関が系列の銀行や証券会社などの利益のためでなく、資産を委ねてくれる年金基金や掛金を払っている国民の利益のために行動することが実質的に担保されるようなガバナンスの構築)
  • コーポレートガバナンス·コードの改定
  • ディスクロージャーワーキンググループに関する中間報告

 

<フィンテック時代への対応>

  • 仮想通貨事業者の育成
  • 仮想通貨における世界に先駆けた資金決済法改正制を導入(仮想通貨交換業者に登録)

以上が森金融庁長官の施策のポイントです。

もちろん森長官単独で実施できた訳でもなく、長官就任前から準備、流れが決まってきたものもあるでしょう。

また、森長官ではなく官邸等が主導してきたものもあるかもしれません。

しかし、森長官時代に動いてきたものであることは事実です。

 

近時の報道

森長官の退任については、様々な報道がなされていますが、シェアハウス問題を起こしているスルガ銀行を「優等生」と高く評価していたこと、仮想通貨取引の育成を打ち出していた段階でコインチェックの仮想通貨流出問題等が起きたこと、等から官邸の信頼を失ったとされている記事もあります。

特に、森長官がスルガ銀行を高く評価していたことを非難する記事は多いのが現状でしょう。

これは、森長官が今まで発言してきたこと、改革を進めてきたことに対する銀行業界からの反発も多分に含まれているものと想定します。

特にスルガ銀行の件は、筆者からすると、森長官は、銀行が貸せる先があるのに債務者を評価できずに貸せていない事例等に問題意識を抱えており、「他行が貸せていない分野への貸出」や「金利ではなくスピードで差異化を図っていること」を評価する姿勢を示していただけと認識しています。

当時は、投資家·アナリスト等からもスルガ銀行を評価する声が多かったのは事実であり、問題が発覚したからといって森長官をバッシングするのは少々違うようには思います。

そもそも、スルガ銀行の問題は、改ざん·偽造等、犯罪といえるレベルの問題であり、通常の想定を超えています。

この点については留意が必要ではないでしょうか。

 

所見

森長官の功績について筆者は以下のように理解しています。

  • 既存の金融業界にとって「優しくない正論」をきちんと示したこと
  • 日本の資産運用会社が作る金融商品の問題点を明らかにしたこと
  • 日本の銀行が口先だけではなく、本質的に顧客本位の業務運営を行うように促したこと
  • 貯蓄から投資の流れの阻害要因を取り除こうとしてきたこと
  • 日本の株式市場に海外の投資家等が投資しやすいように制度を整えてきたこと
  • 金融業界の各当事者・プレイヤーが、本来期待されている役割を果たすように仕向けてきたこと
  • 地方銀行の持続可能性について焦点をあてたこと

スルガ銀行やコインチェックの問題だけを捉えて、批判することは意味がありません。

なお、筆者は森長官のファンではありません。どちらかと言えば、銀行業界のことを知らない役人が知ったようなことを言っているな、と感じておりました。

しかしながら、実績は実績です。後述の講演録を読んだ際には筆者はかなりの衝撃を受けました。正論とはこのようなことなのです。

正論は優しくはありませんが正しいことを正しいと指摘できるのは非常に素晴らしいことです。事実としての功績自体は評価されてしかるべきでしょう。

森長官が日本の金融行政の歴史において、どのような役割を果たしたかは、冷静に見るべきなのではないでしょうか。

 

ご参考:森長官の講演録(抜粋)

以下は、金融業界に大きな衝撃を与えた森長官の講演の一部を抜粋しておきます。

ここまで本音で正論を語った講演は筆者の記憶にはありません。

筆者にとっても非常な衝撃でした。是非ともご覧下さい。

 

「日本の資産運用業界への期待」
日本証券アナリスト協会第8回国際セミナー
「資産運用ビジネスの新しい動きとそれに向けた戦略」における森金融庁長官 基調講演 2017年4月7日


(中略)
【共通価値の創造】
資産運用の分野でも、お金を預けてくれた人の資産形成に役立つ金融商品·サービスを提供し、顧客に成功体験を与え続けることが、商品·サービスの提供者たる金融機関の評価を高め、その中長期的な発展につながることは当然のことです。

マイケル·ポーターは、これをCreating Shared Value (共通価値の創造)と呼びましたが、金融機関による共通価値の創造は、顧客と金融機関の価値創造に留まらず、経済や市場の発展にもつながるものと考えます。

しかしながら、現実を見ると、顧客である消費者の真の利益をかえりみない、生産者の論理が横行しています。特に資産運用の世界においては、そうした傾向が顕著に見受けられます。
資産運用の世界を代表する思想家であるバートン·マルキールとチャールズエリスは、その共著の中で、個人が投資で成功するための秘訣として

  • ゆっくりと、しかし確実にお金を貯める秘訣は再投資(複利)にあることを認識すること
  • 市場の値上がり、値下がりを気にかけず、一定額をこつこつと投資すること
  • 資産タイプの分散を出来るだけ図ること
  • 市場全体に投資するコストの低い「インデックスファンド」を選ぶこと、

を勧めています。

【積立NISAの対象投信】
来年1月から開始される積立NISAは、こうしたマルキールとエリスの考えにも沿った、個人の資産形成を支援するための税制上の優遇措置です。積立NISAの投資対象になりうる投信についても、同様の思想により、資産運用の専門家からなるワーキング·グループを立ち上げ、検証していただいたところ、以下のような結果になりました。
日本で売られている公募株式投信は5406本ありますが、そのうちインデックス型株式投信は381本です。これから、毎月分配型の投信、レバレッジのかかった投信、信託期間が短く長期投資を前提としていない投信を除き、ノーロードで信託報酬が一定率以下のものに限ると、積立NISAの対象として残ったものは50本弱でした。
マルキールとエリスは、インデックス投信は、一般的に、アクティブ型投信よリもリターンは高いと指摘しています。
米国では、企業のファンダメンタル価値を評価する投資家の層が厚いため、市場の効率化が進み、インデックス戦略が有効に機能していると言われていますが、10年以上存続している日本の株式アクティブ型投信281本の過去10年間の平均リターンは信託報酬控除後で年率1.4%であり、全体の約三分の一が信託報酬控除後のリターンがマイナスとなっていました。ちなみに、この10年間で日経平均株価は年率約3%上昇しており、インデックス投信が一般的にアクティブ型投信に比べリターンが高いとのマルキールとエリスの主張は、日本株投信についても当てはまるように思えます。
そこで、2707本ある日本のアクティブ型投信について、設定以来、三分の二以上の期間において資金流入超となっており、ノーロードで信託報酬が一定率以下であることなどを要件としたところ、これを満たすものは、5本でした。日本においても、企業のファンダメンタルな価値を適切に評価する投資家の層が厚みを増し、質の高い、長期投資に資するアクティブ型投信が増えることが望まれます。
この結果、積立NISAの対象となりうる投信は、インデックス投信とアクティブ型投信あわせて約50本と、公募株式投信5406本の1%以下となりました。
ところが、同じ基準を米国に当てはめてみると、全く異なる結果となります。
米国で残高の大きい株式投信については、上位10本のうち8本がこの積立NISAの基準を満たしています。一方、我が国の残高上位30本の株式投信の中で、この基準を満たしているのは29位に一本あるだけです。

【我が国の投信販売の問題点】
我が国にも、この基準を満たさなくても実績の良い投信が存在することを否定するわけではありませんが、資産運用の専門家が、個人の安定的な資産形成に資すると勧める特徴を持った投信がこれだけ少ないという事実は、我々も業界も深刻に受け止める必要があると思います。
では何故、長年にわたり、このような「顧客本位」と言えない商品が作られ売られてきたのでしょうか?
資産運用の世界に詳しい方々にうかがったところ、ほぼ同じ答えが返ってきました。日本の投信運用会社の多くは販売会社等の系列会社となっています。投信の運用資産額でみると、実に82%が、販売会社系列の投信運用会社により組成·運用されています。系列の投信運用会社は、販売会社のために、売れやすくかつ手数料を稼ぎやすい商品を作っているのではないかと思います。
これまでの売れ筋商品の例をみても、ダブルデッカー等のテーマ型で複雑な投信が多く、長期保有に適さないものがほとんどです。こうした投信は、自ずと売買の回転率が高くなり、そのたびに販売手数料が金融機関に入る仕組みになっています。
このような、我が国において一般的に行われている投信の組成·販売の仕組みは、顧客の資産形成にいかなる効果があったでしょうか?
日本で売れ筋商品となっているテーマ型投信は、売買のタイミングが重要な金融商品といえます。当然、安く買って高く売ることが基本となりますが、継続的に適切な売買のタイミングを見極めることが出来る投資家は、プロの中にも少ないはずです。先ほど申し上げたアクティブ型投信のパフォーマンスが、このことを裏付けています。個人が買う株式投信の売れ行きを過去に遡ってみても、株価のピークで株式投信が最も売れる傾向にあります。
本年2月の我が国における純資産上位10本の投信をみてみると、これらの販売手数料の平均は3.1%、信託報酬の平均は1.5%となっています。世界的な低金利の中、こうした高いコストを上回るリターンをあげることは容易ではありません。日本の家計金融資産全体の運用による増加分が、過去20年間でプラス19%と、米国のプラス132%と比べてはるかに小さいことは、こうした投信の組成・販売のやり方も一因となっているのではないでしょうか。
(中略)
こうした話をすると、お客様が正しいことを知れば、現在作っている商品が売れなくなり、ビジネスモデルが成り立たなくなると心配される金融機関の方がおられるかもしれません。

しかし、皆さん、考えてみてください。正しい金融知識を持った顧客には売りづらい商品を作って一般顧客に売るビジネス、手数料獲得が優先され顧客の利益が軽視される結果、顧客の資産を増やすことが出来ないビジネスはそもそも社会的に続ける価値があるものですか?こうした商品を組成し、販売している金融機関の経営者は、社員に本当に仕事のやりがいを与えることが出来ているでしょうか?また、こうしたビジネスモデルは、果たして金融機関·金融グループの中長期的な価値向上につながっているのでしょうか?
(中略)
高い運用力を持つ金融機関、顧客本位が組織に根付いた金融機関が発展し、顧客本位を口で言うだけで具体的な行動につなげられない金融機関が淘汰されていく市場メカニズムが有効に働くような環境を作っていくことが、我々の責務であり、そのため行政として最大限の努力をしていくつもりです。
(中略)
私の友人の欧米の運用者たちは、24時間、365日絶えず市場の動向を注視しており、自分の資産も賭けて投資判断を行っています。心も身体も擦り切れるくらいストレスが溜まる一方で、成功すれば大きな報酬を得ることが出来ます。このように、欧米の一流の投資運用業は、スポーツの世界と同様、究極の実力本位になっていると感じます。
それと比べて日本はどうでしょうか。運用会社の社長が運用知識·経験に関係なく親会社の販売会社から歴代送り込まれたり、ポートフォリオ·マネージャは運用者である前に○○金融グループの社員であるという意識が強く、運用成績を上げるより定年までいかに間違いをせず無事に勤めあげるかが優先されてはいないでしょうか。
(中略)

【アセットオーナーの役割】
運用会社だけでなく、アセットオーナーの役割も重要です。例えば、年金基金には、掛け金をかけている国民に対するフィデューシャリー·デューティーを十全に果たすことが求められます。アセットオーナーは、自らの資金を委託するのに最もふさわしい能力を持った運用会社を見極める必要がありますが、仮に年金基金が、マンデートを運用会社グループとのリレーションで与えているとすれば、それはフィデューシャリー·デューティーの観点に照らして問題があります。
アセットオーナーとしてのクオリティが高く、中長期的に素晴らしい運用成績を挙げている米国の大学の基金や年金基金には、例外なく、優れた目利き力、運用能力を持った責任者がいます。我が国の企業年金についても、企業内の人事異動でなく、プロとして適切な能力·判断力を有した責任者を内外の幅広い候補者から選び、配置することが望まれます。アセットオーナーとアセットマネージャーの双方が共に本源的な実力を高め、究極の受益者である国民に対するフィデューシャリー·デューティーを果たしていくことが、日本の運用業界の発展につながるのだと思います。
(以下略)