2018年4月に三菱東京UFJ銀行が三菱UFJ銀行に行名を変更しました。
1996年に三菱銀行が東京銀行を吸収合併してから18年で東京銀行の名前が消えることになります。
今回の記事では、改めて都市銀行の合併の変遷についてみていくことにしましょう。
みずほFG
まずはメガバンクの中で最初に大型再編に踏み切ったみずほの変遷についてみていくことにしましょう。
みずほFGは2000年9月に発足しています。
第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の三行が統合するという大変衝撃的なものでした。いわゆるメガバンクのはしりです。
統合後には、個人および中堅・中小企業等を担当するみずほ銀行と大企業を担当するみずほコーポレート銀行に再編されていましたが、現在はみずほ銀行に一本化されています。
なお、みずほ信託銀行(昔の安田信託銀行)は2011年に上場を廃止し、完全にみずほFGの傘下に入りました。
第一勧業銀行は1971年に第一銀行と日本勧業銀行が合併し発足しています。当時は総資産等で富士銀行を抜き日本トップの銀行になりました。
日本興業銀行は重工業の振興のために設立された銀行であり、長期信用銀行のトップバンクでした。
よって、みずほFGは日本のトップバンク三行が合同したフィナンシャル・グループということができます。
三菱UFJFG
三菱UFJ銀行は今でこそ日本のトップバンクですが、前身の三菱銀行は都市銀行中位クラスの銀行でした。
前述の通り1996年に外国為替専門の東京銀行と合併し都市銀行のトップに登ります。
1994年には日本信託銀行を子会社化し、2001年には、日本信託銀行・三菱信託銀行との経営統合により三菱東京フィナンシャル・グループ(MTFG)を発足させています。
2005年にはUFJホールディングスと経営統合し、2006年に東京三菱銀行とUFJ銀行が合併して三菱東京UFJ銀行が発足しました。
なお、旧UFJホールディングスは三和銀行、東海銀行、東洋信託銀行が経営統合して発足したフィナンシャル・グループです。
三菱UFJ銀行は四行の流れを汲んだ銀行ということになります(信託銀行は合併していないので別)。
今や押しも押されぬ日本のトップバンクとなっています。
三井住友FG
三井住友銀行も合併の歴史を持ちます。
2001年に住友銀行とさくら銀行が合併し、三井住友銀行が発足しました。
前身のさくら銀行は、1990年、三井銀行が太陽神戸銀行と合併し太陽神戸三井銀行を発足させ、1992年にさくら銀行に行名変更しています。
なお、太陽神戸銀行は都市銀行の神戸銀行と太陽銀行が1973年に合併して誕生した銀行です。
また、三井住友銀行はわかしお銀行との逆さ合併(規模の小さい銀行を存続会社とさせること)がありましたが、これは会計上のテクニック的なものですので、ここで認識しておく必要はありません。
以上より、三井住友銀行は都市銀行が四行合併している銀行といえます。
りそなホールディングス
こちらも複雑な沿革をもちます。
1991年に協和ぎんこと埼玉銀行が合併し協和埼玉銀行となり、1992年にあさひ銀行へ行名変更をしました。
2001年に大和銀行・近畿大阪銀行・奈良銀行(後の2006年にりそな銀行に吸収)が経営統合し、大和銀ホールディングスを設立します。
2002年に大和銀ホールディングスはあさひ銀行と経営統合し、りそなホールディングスが発足、2003年に大和銀行があさひ銀行と合併し、りそな銀行となります。(同時に埼玉りそな銀行を会社分割て発足)
2017年に株式会社関西みらいフィナンシャルグループを設立し、近畿大阪銀行と、三井住友FG傘下の関西アーバン銀行・みなと銀行を経営統合(実質的な買収)させます(2018年4月)。
今後の流れ
以上が都市銀行の合併のおおまかな流れです。
(図表としては全銀協の以下ホームページが分かりやすいでしょう)
メガバンクはこれ以上の再編はないとも言われていましたが、もう一段の再編はあるかもしれません。
マイナス金利政策導入による収益の苦戦は全ての銀行に影響を及ぼしているからです。
またフィンテックの拡大によっては銀行業態が、大幅に変わらざるをえないかもしれません。
そもそも、銀行の歴史は相次ぐ統合の歴史です。今ある形が将来も続くことはあり得ないのです。
このような環境下で、特に注目すべきは、独立系として存在している三井住友トラスト・ホールディングス(三井住友信託銀行)の動向でしょう。
三井住友信託銀行は旧北海道拓殖銀行の本州店舗を引き継いだこともあり、銀行としての規模も相当なものです。
三井住友トラストをみずほFGと三井住友FGが間違いなく狙っています。
この三井住友トラストのうごきが今後の銀行業界の序列を崩すことになるかもしれません。
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