会社員にとって給料が上昇したと実感できない環境が続いています。
内部留保が積みあがっているとか、人手不足と言われながらも、企業は簡単に人件費を上げようとはしません。
今回は、従業員にとっての「痛みがない形で」企業が人件費を下げる方法について考察します。
退職給付費用の削減は人件費の削減と同じ
会計上の人件費には、給与や賞与等の分かりやすい項目に加え、退職給付費用が計上されています。
退職給付費用は、分かりやすく言えば、年金や退職一時金にかかる費用のことです。
そのため、給与や賞与を引き下げなくとも、退職給付費用を削減できるのであれば、企業にとって人件費の削減になります。
今回の記事はこの退職給付費用の引き下げに焦点をあてます。
なお、退職給付費用については以下の記事で詳細に解説しています。
退職給付費用の削減の方法
退職給付費用の計算方法
先ほどリンクを挿入している記事にある通り、退職給付費用の計算式(日本会計基準)は以下の通りです。
退職給付費用=勤務費用+利息費用-期待運用収益+過去勤務費用にかかる当期の費用処理額+数理計算上の差異にかかる当期の費用処理額
出典 KPMGホームページ
つまり、勤務費用や利息費用は「費用」項目ですので、「期待運用収益」を増加させることができれば退職給付費用は減少するということになります。(今回は数理計算上の差異等の処理は説明を分かりやすくするために触れません)
では、期待運用収益とは、どのようなものでしょうか。
期待運用収益の改善方法
期待運用収益とは、年金資産により当期に獲得が期待される運用上の収益額です。
計算式は以下の通りです。
期待運用収益=期首年金資産残高 × 期待運用収益率
この期待運用収益率は想定でかまいません。
誤解を恐れずに言えば、収益が実際に上がっていなくてもよいのです。
この年金資産からは、これだけの収益が上がるだろうと想定しているならば、その数値を使用してよいのです。
計算式をみて分かる通り、期待運用収益を向上させるには、年金資産残高を増額するか、期待運用収益率を改善することが必要になります。
期待運用収益率を改善させるのは、簡単に言えば、運用資産をリスクの大きいようなもの(例えば債券→株式)に入れ換えれば、基本的には可能です。
ただし、今の日本企業ではリスクを取って年金の運用収益を改善していこうとする企業は少数でしょう。
大多数の企業はリスクを極力減らすことを好みます。失敗を恐れていると言っても良いでしょう。リスクを取った運用を行って失敗してしまったら誰が責任を取るのか、という問題が生じるからです。
よって、期待運用収益を増加させようとすれば、年金資産の増加をすることが現実的な選択肢となります。
年金資産の増加方法
人件費削減策として、退職給付費用の削減を行うためには、期待運用収益を向上させることが必要であり、そのためには年金資産の増加が現実的な選択肢であると述べてきました。
では、年金の資産増加はどのように行うことができるのでしょうか。
選択肢は大きく分けると以下の通りです。
- 運用での収益獲得
- 年金掛金による拠出(積立)
- 退職給付信託設定
上記3つの選択肢のうち、運用での収益確保は不確定であることから、企業が人件費削減策として見込むのは現実的ではないでしょう。
年金掛金の拠出による年金資産増加は最も一般的な方法ですが、年金掛金は拠出時に税務上の損金となることもあり、一気に多額の掛金を積み立てていくことは簡単には認められません(分かりやすくいえば、政府の税収が減ってしまうからです)。
そのため、即効性のある年金資産の増加方法は退職給付信託の設定となります。
退職給付信託は即効性のある人件費削減方法
退職給付信託は、企業が保有する有価証券や現金等を退職給付にあてるために信託し、信託銀行がその有価証券等を当該企業の従業員および退職者のために管理する信託です。
仕組みは以下の通りです。
出典 信託協会ホームページ
(少々図表で使われている用語が古い気がしますが)、とにかく退職給付信託は、事前にキャッシュ等を外部の信託銀行に積み立てておいて、その信託から年金の掛金や退職一時金を支払うという仕組みです。この信託は会計上は年金資産として認められます。
そして、退職給付信託の設定は、企業の単体決算では退職給付引当金の額まで積み立てることができます。
企業は、手元にある現預金を用いて退職給付信託を設定し、運用を行えば、年金資産残高が増加することになり、結果として期待運用収益が増加します。
すなわち退職給付費用が削減されるのです。
退職給付信託は仕組みは単純であり、経営陣にとっても分かり易いものです。設定にも時間はほとんどかかりませんので即効性のある施策と言えます。
また、退職給付信託の設定により、単体決算では退職給付引当金、連結では退職給付に係る負債が同額削減されます(オフバランス効果)。よって貸借対照表がスリムになります。
これが退職給付信託のメリットです。
一方で若干の留意点はあります。
企業は、退職給付信託設定時に現金等を拠出しますが、この拠出金は税務上の損金にはなりません。よって、年金を掛金によって積み立てていくよりは税務上のメリットがないのです。
ただし、退職給付信託から年金の掛金に拠出する、もしくは退職一時金として従業員に支払う段階では、税務上の損金として認定されます。
以上のように手元にキャッシュがある企業にとっては、特に退職給付信託は人件費の削減方法として有力な選択肢となりえます。
当該記事をご覧になっている方が銀行員であり、系列に信託銀行があるメガバンク等にお勤めであればお客様に人件費削減策として退職給付信託の設定を提案していくのは、通常の銀行提案とは異なる切り口として面白いのではないでしょうか。
また、企業の財務担当者にとっても、この退職給付信託を活用した人件費削減策は非常にメリットの大きい手法です。ぜひ一度ご検討することをお勧めします。